私的なモーターサイクル史

 初めて乗ったバイクは直結されたパッソルだった。次はCB50、タコメーター付きのヤツ、ギヤ付き。次がCM125Tだったっけ?、250だっけ?。テールパイプを外した大きな音で、パトカーに追跡され路地に入ろうとしたら出てきた車とぶつかって転んで走って逃げた。学校サボって就職した友達の居る工業団地に行った。工業団地の外れの路地に止められたXJ400D、短く切られた集合管の直管で、これも直結だった。盗んだバイクで集会に出、足が付くので後輩に売ったりするのはよくあることだった。自分でアクセルをあおった直管の音は腹に響いた。まだ学校に行ってる時だから15の春位のことだろう。
 友だちが1万円だかで買ったZ400FXのE4。がむしゃらパワーで1kmくらいは押し掛けしてやっと掛かったと思ったら100mも走らずにコンロッドがクランクケースを突き破った。
 別の友だちが5000円で買ったホークV。これは実走することはなかった。イグニッションコイルだったんだが、その件でわたしがバイクは自分で直すという方向性を決めるきっかけになった。その後、先のFXとこのバイク、おれのイノウエのロケットカウルは友人宅のガレージに置いていたところを警察に没収された。
 夏ごろにこの警察署に深夜、裏門の南京錠を鉄鋸で切って没収された暴走族のバイクが置かれている駐車場からホークUとGSX400Fを盗み出した。100mくらい引っ張っていって、エンジンを掛けようと試行錯誤していると鍵を破られた事に気付いた警察官が2、3人署から飛び出てきたのでバイクを放って走って逃げた。
 解体屋から2万円で買ったGS400。初めての自分のバイク。FXのバッテリーを極性が逆だったが無理やり付けて、ガソリンいれたらすぐに掛かった。当時は友人と3人でつるんでいて、それぞれFX、ホークV、GSとバイクを持っていたが免許を持ってる者は無く、免許を取れる16歳に誰もなっていなかった。他の2台が没収されたのは秋頃だったろうか。このGSは正月に乗り回していたら車とぶつかって、示談で済ますよう頼んだが警察を呼んだので走って逃げた。その後1年くらい警察署の駐車場に置かれていたが後輩がパクられた時にわたしの物であることを喋った為、ある日わたしは警察に呼び出されることとなったが、おかげで手元に戻ってきた。
 12月に16歳になり、原付の免許を取ってヤマハのJOGを買った。手に入れてすぐ35kmオーバーで捕まった。金が無いのでキットパーツは手が出ず、プーリーを加工したり、ポート研磨をした。中型免許が取れたのは翌年の初夏で、免許を取ったその日に手配しておいたGS400Eを三重県の松阪までとりに行った。17歳の時の事故で全損になり、またGS400Eを買った。この頃地元の集会には顔を出さず、一人で走るほうが好きだったがひょうんな事から神奈川に降りてきていた福生の暴走族とそのOBと知り合う。一人はZ2、一人はハコスカ2ドアのGT-RとKHに乗っていて、手に入りにくかったGSのパーツをいろいろ都合してくれた。地元の集会に顔を出さない事でやばい立場になっていたわたしは、ちょくちょく福生に逃げ込んだ。福生の同年の友人と3人でその子らの女の先輩のアパートに転がり込むとその女の先輩はシンナーでらりってた。いやこれはどんな事になるかとHな期待で胸を膨らましたが、その先輩の彼氏のクラウンがアパートの前に止まると脱兎のごとく逃げ出す事になる。行き場無くさまよってると交番の前で1万円札を拾い、届ける訳が無く3人で山分けした。
 また当時、忘れもしない八王子に東京ライダースという店があってよく通った。時代遅れで不良在庫化していたGSのダンガーニのクロス、ホークUやGSX400Eのアルフィンを破格で手に入れた。今は無い昔のバイクショップで大好きだったが'88年頃に閉店した。今でも東京ライダースのメンバーズカードを持っている。
 18歳の終わりに限定解除、悩んだが結局Z2を手に入れた。19歳の秋に、もう古いバイクはいいだろうと、GPz900R辺りを買うつもりでバイク屋めぐりをしていた時、見つけたオリジナルではないがピカピカのZ1に一目惚れして手に入れた。20歳の春頃だったかな?こいつで事故った。初めての恋愛の問題に、その失敗した醜さに心が占められていて、あれほどぴりぴり緊張して乗ったバイクの運転も腑抜けたものになっていたし、楽しくなかった。だから当然の報いのように感じた。ぶつかった対抗右折車、その運転手がどっちを見ているか、わたしは関心を向けていなかった。
 同じ頃にモンキーも持っていた。足回りの入った物を安く手に入れTZの電気式タコメーターを付けていた。キャブはVM26、RZ250のものだったかな。スーパーストリートだったかレーシングだったかのカムで13000位は廻ったがロッカーアームのヒールがすぐに齧る。キャブが大き過ぎてぶん回すしかなかったからなぁ。ロッカーアームを3セット、ピストンを2セット代えたくらいで嫌になった。高価な武川のヘッドアッセンブリは買う気がしなかった。
 10年以上バイクから離れたわたしが再びバイクを触ったのはたまたま立ち寄った骨董雑貨屋の店員が不動のK50を手に入れていて、それを直したことだった。頻繁に調子を見る内に自分のバイクが欲しくなった。車検や置き場、金、大型車は無理だ。モンキーは走れるようにするまでに30万は要る、地元のつれがミニトレに乗り出している。2ストはちょこっとやるだけで十分速くなる。白ナンバーは30km制限だったりいろいろ不便なので、当時日本橋店を出していたバイク屋の知り合いに頼んでミニトレのGT80を探してもらって手に入れた。

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