協友会通信64号より
 

20068月発行
釜ヶ崎キリスト教協友会通信64
大阪市西成区萩之茶屋2-8-9 旅路の里気付
TEL/FAX 06-6631-2720
共同代表 秋山 仁 吉岡 基
 

 

 

「これからどう生きて行くのか」

 75日、エルおおさかでNO-VOX「持たざる者」の抵抗−日本とフランス−と題した交流集会が持たれた。聞き慣れない名前だが、NO-VOXというのは「声なく」の意で、持たざる者(sans)によるインターナショナルな連帯を呼びかけており、フランスからDALDroit Au Logement=住宅への権利)のブノワット・ビューローさん、Resister Malgré Tout(是が非でも抵抗)の中心人物で哲学者・精神分析学者のミゲル・ベナサヤグ氏が来日した。こうした流れの背景には、従来それぞれの国の経済的、政治的、社会的な問題として捉えられてきた貧困、住宅、就労の問題が限られた地域的な、経済成長や発展が補う問題で無くなって来ている事を示している。今回の集会の為に来日した、ミゲル・ベナサヤク氏の言葉を引用したい。

 「アルゼンチン(ミゲル氏はアルゼンチン出身)でファシスト政府と闘っている時は、倒せば平和と正義が実現されると思っていた。だが民主主義化後も民衆は貧困に苦しんだ。これは当初経済成長の問題と思われ、成長すると富が分配されると思われたが、しかしそうはならなかった。貧困に対し政府は金がないという。そこで持たざる者の運動がはじまった。」

 我々はどこへ行こうとしているのか、よく考えなければならない。マイノリティや社会的に見えざる(声なき)所から発した運動は、政治的にその権利を認められるか認められないかというスタンスで進んできており、それは既存の政治システムを補完する意味で行われてきた。そしていま「みんなが幸せになれる」という国家的に追求すべき目的は反故にされつつある。

 「こういった事態は経済の支配下に世界中で増えている。民主主義は間違っていて、富のアパルトヘイトを行おうとしている。しかし貧しい者達の連帯は、ブエノスアイレスのブルジョワには出来ない連帯がある。」

 社会秩序が人の生を疎外しており、不当な事にはこれからも声をあげていかねばならないが、わたし達が代弁し活動してきた事で、この先に希望が見えるのかと言えば無く、援助とか支援とかのスタンスを取っていれば良いというものでは決して無い。今日何人の人が路上で、また孤独に亡くなって、それが行政の無策の所為だと帰結するには、わたし達は予め行政が無策であることを知り過ぎている。社会秩序が理想でもなく、倫理でも道徳でもなくシステムにとって変わられている。求めているのは新しいシステムではない。

 

 80年代、まさか民主主義がこんな状態になるとは思わなかった。経済的システムの行き着くところは非人間性だと、今は告白せざるを得ない。こうした事態への答えを南米の経験から得るとは思わなかった。しかし、民主主義が頂上をかすめながら、逆にかすめたからこそ、そのイデオロギーに抗しきれず、その思想(民が主)と相容れないはずの切捨てを段階的に、システマチックに行っている事など、わたし達がこれからどう生きて行くのか、学ぶ所は多い。

 民が主たるところ、どれだけ宣伝できるか、が重要にならざるを得ない。ただし、わたしも含め、民がどれだけ聡明か?と言えば、明日わたしの給料が上がるとすれば、そちらが正しいとする位に聡明だと言うしかない。だがひとつ言わしてもらいたいのは、わたし達の戦いは、利か損かという事を超えて、人の生を(計量されない意味を)回復する為の戦いだと言う事。それをみなさんに知って欲しく筆を執った。

森下敏行

 

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「震災の救援活動を通して見えたもの−公園は避難の為にある−」

吉岡 基さんの体験より

 

ちょうど震災のあった時にね、たまたまね釜ヶ崎から来たのわしだけやなくて、炊き出ししているグループも、これは炊き出しが必要やと、みんな外で寝ている、寒いし大変やと、そういう流れで行ったんです。あの時点で大勢の人が住むとこ失うて公園や路上に溢れた訳ですやんか。その時まず感じたのが、公園は避難するとこなんですわ。わしほんまに感じましたわ。

で、そこであれは災害やから、救助法に従って避難所が設定されたり認定されたいうんで、救助法の枠がありましたけども、わしら出会ったのは、その時問題なったのは罹災証明があるか無いかとか、取れるか取れないかという事で、震災で家を失った人でもそのコースに乗れない人がいっぱい居ました。仮に最小限乗ってたとしても、色んな事情抱えて公園なり、近所で野宿というか避難生活から離れられない人が大勢居た。それ以前から野宿している人ももちろん居た。その時にね、神戸に行って一番びっくりしたのは、ボランティアとか行政の人達が炊き出しとか救援活動している中でね、この人は被災者、この人はホームレスという言い方をして分けたんですわ。震災から1週間も経ってない。被災者の方はどうぞ、あ、おっさんホームレスやろ?おっさんこんな所並んだらアカンでって。

これは避難所と呼ばれる場所でも一緒ですわ、あんたは被災者やからOKと、あんたはホームレスやから公園もどれ、どっか行けと。実際に関わった人で、震災から十日前後した時に、自衛隊の救護班来て無料で診療してる、そのすぐフェンスの外で野宿してはった人が、目の前の医療にもかかれず亡くならはったんですよ。言い出したらキリがないんやけど。何を分けてんねんと。みな外で寝なアカン状況やろ、食べ物はないし寒いしね。みな公園に避難してるやないか、そこで何で分けんねん、というふうにそらもう個人的に納得行かなくて、結果的に1年半くらいずっと神戸に居続けたんです。

その中でね、ちょうど1年目の冬ですわ、まだ、その時点で大勢の人が野宿してました。いわゆる震災で住んでるとこを失った人含めてですよ。色んな事情で公園や、自分の家やない所で生活してました。そういう方の中でも、その1年目の冬に路上で凍死してはるんですわ。わたしの知っている限り、二人の方が路上で凍死しはりました。なんでこんな事なんねん、罹災証明云々別にしてね。避難して仮設に入るルートもあるのに、なんで路上で人が死んでいくのか?いう事でね、これはもう放っておかれへん、バラバラで外で寝とったら凍え死んでまう、もう二人死んでしもた、いうんで神戸の市役所のすぐ隣にある東遊園地っていう大きな公園に、ある日テントを建てたんです。当時ぼくらが知り合ってる人が、わし心細いねんという人が50人くらい集まって、ひとつの大きなテントに、それは震災の為に持ってきたテントをそのまま公園に建てて、みんなで暖を取って、みんなで飯を食うて支え合いながら、神戸市と話をしよう、という事で公園にテント張ったんです。

テントを建てた次の日の朝早くに神戸市の公園局の人がやってきました。もうほんまにすごい勢いでね、「誰やこんなとこにテント建ててるのは!」と、来たわけですわ。で、極道でも来たんかいな?と思てたら、芝生が痛むやないかと言うんです。そこで、何でここに、公園にテント建てたかという理由をお話ししました。いま話したようなことも含めてね。わしらは別に公園で、ここで住むって言うんじゃなくて、それぞれ事情があって、こういう経過をたどって、ひとりひとり路上で死なないように、取り敢えずみんなで集まってんねん、ここしか場所がないねん。という話をしました。で、その公園局の人話を聞いて、最初えらい剣幕で怒ってたんですが、話してる中で具体的に神戸市がやっている災害救護法でやってるとこから漏れる人がいるということ、それから行政がホームレスと呼んでる人たちが利用できる、たったひとつの場所があったんですよ。更正施設と無料宿泊施設が一緒になったひとつの建物でね。満杯ですわ。いまはちょっと変えたんですけども、その当時廊下や階段で寝てはるんですよ。外よりはまだマシやいうことでね、それでも溢れてる。そんな条件が重なってると。嘘やと思うんやったら見に行ってみ、言うたんです。

まさか行くと思ってなかった。そしたら神戸市のさっき怒鳴り込んできた公園局の人がね、その足でその施設見に行きはりました。それから神戸市の本庁に帰ってね、当時の民生局に行って、どういう事ですかこれは?ぼくらこういう事あって、公園でその人と会ったんやけども、言うてる通りやと、ほんまに外に居る人がこんな状態やったらもうしょうがないですわ、いうんで、公園局の人わたしの所に帰ってきてね、ここを使って住み続けていいとわたしはよう言いません。でも現状は良く分かりました。だから出て行けとは言いません。ちなみに水道はここにあって、栓はこうしてと、非常に炊き出しに十分な手伝いをしてくれはりました。

その後ね、結局民生局もいろいろ話をして、それぞれそこに居るよりもよい処遇が決まったんで、3週間程でテントは一応撤去して、それぞれ行き場所にいって、またそれから繋がりも持ったんですけども。わしにとってはものすごい大きい経験だったんです。

 

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恵美公園テント「撤去」始末

秋山 仁

相変わらずの公園事務所

5月30日(火)、野宿者ネットワークから私のところに、今宮戎の近くにある恵美公園でテント生活をしているAさんの所に天王寺公園事務所が来て、承諾書も書いていないのに「6月1日に撤去する」といわれたという情報が入りました。協友会のメンバーに連絡を入れ、6月1日(木)当日、私も公園まで行きました。午前9時過ぎ、Aさん本人と応援に駆けつけたメンバー10人ほどが話し合いをしていました。撤去予告のチラシは、「退出済み、6月1日に撤去します」との文面でした。

午前9時半頃、数台の作業車が到着。公園事務所のB施設担当課長が公園へ乗り入れてくるなり、「不法占拠物件の撤去に来た」と叫んだため、当事者Aさんと私たち支援者は抗議。B課長をまず公園の入り口から外に押し出して、一歩も入れさせないようにして抗議を続けました。しばらくすると職員の何人かがB課長を私たちからガードするように取り囲んで、公園内に入ろうとして入り口でもみ合いになりました。

 

テント撤去を阻止したぞ

 私たちが公園事務所職員と押し合いへし合いを続けていると、警邏の巡査が2名、さらに10数名の私服警官(たぶん公安担当)がやって来ました。そしてB課長と私たちの間に入って事情を聞いたあと、B課長と当事者のAさんが話し合うようにと仲裁、結局公園入り口でAさんとB課長が話し合うことになりました。

B課長は、「Aさんは入院していた後、足取りがつかめないため、退去したものと判断して小屋を撤去するつもりであった」と全く根拠のない理由を並べ立てていましたが、「ようもデタラメばっかり」とAさんが抗議。しかも話し合いの中で、B課長がAさんの留守中、勝手にAさんの小屋に入り込み、引き出しまで開けて調べていたことが発覚。Aさんは、公園事務所のこれまでのやり方から撤去には応じられないと答えました。「また引き続き来ます。」とB課長。その後もB課長は、「本人から承諾書は取ってあるから」と、自らバールを持ち出しもう一つの無人になっている小屋を取り壊そうとしましたが、「本人は取り消したいと言っているぞ。承諾書の取り消しには応じると言ったじゃないか」という私たちの抗議に立ち往生。さすがに警察もここは無理強い出来ないと判断したのか、B課長を説得にかかり、最終的に午前11時頃に公園事務所は引き上げました。現場での抗議で公園事務所の作業を阻止できたことは、大きな意味を持っていたようにも思います。

 

恵美公園その後

その後の経過でいえば、6月下旬Aさんの小屋の鍵が壊され、小屋の中に撤去勧告のチラシが置かれていたそうで、Aさんはその日の内に電話で公園事務所に抗議しました。一方無人の小屋は何者かに壊されていたそうです。そして、7月初旬、とうとうAさんの小屋が壊され、Aさんとは連絡がつかないまま、18日に小屋は綺麗に撤去されていたのを支援者が確認。公園事務所に電話すると、「承諾書を取って撤去した」という答えでした。その後も公園事務所による執拗な追い出し工作があったのではと思ってしまいます。追い出すだけでは問題の本当の解決にならないと思うのは、私だけでしょうか?

 

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第23回全国地域・寄せ場交流会に参加して

こどもの里・子どもの家 前野

 

去る62425日、神奈川県三浦市で行われた第23回全国地域・寄せ場交流会に参加してきました。私にとって今回の交流会は2回目の参加となりましたが、最初の案内にもあった通り、今回は本当に「交流する」ということに重点が置かれており、そこで初めて出会った人達ともとても話がしやすい場になっていたと思います。参加者の中でも若年層に入る私としては、このような雰囲気で交流会を開いていただいたことで、初対面である他の地域の方々と話をする機会を得ることができ、受け身では無い交流会にすることができたことを嬉しく思っています。

分科会も今年はテーマ別交流会という名前に変えられており、勉強会のような形ではなく、そこに参加している人達が自由に意見や報告を交わしたりできるような場になっていたのではないでしょうか。私は2日間とも「子ども」というテーマに参加しましたが、横浜・寿町での子ども達の様子を聞くだけでなく、自分が普段関わっている釜ヶ崎の子ども達や家族の様子も伝える中で、共通点や相違点などを感じたままに話すことができました。また、寄せ場と言われる地域以外からの参加者の方には、普段どのような活動をしておられるかについての話を聞くと共に、私の方からは釜ヶ崎での子どもと労働者とのつながりや、子ども夜回り・学集会についての話もさせてもらえて、今の子ども達に自分と労働者とのつながりや、命の大切さを伝えるきっかけや方法について、参加者みんなで話を深めることができました。しかし「子ども」というテーマに集まるのは普段子どもに関わる領域で動いている人ばかりで、寄せ場や労働者・野宿者と子ども、というつながりはまだなかなか伝わりにくいことなのだろうかと感じたのも事実でした。

 交流会後のオプションツアーでは、実際に寿町を訪れることができ、寿の子ども達とも一緒に過ごす時間を持つことができました。町の印象としては、釜ヶ崎よりも少し静かで、道端で寝ている人の数も少なく感じました。後の話で、寿町ではドヤでも生活保護の対象になり、今は高齢となったかつての労働者・野宿者の3分の2の方が生活保護を受けて生活していると聞き、そこが釜ヶ崎との大きな違いだと思いました。実際に他の地域では行われている施策がまだ大阪市ではされていないこと、これはやはり大阪市では労働者の生活を保障する意識がまだまだ低いのだと感じざるを得ず、そのような訴えかけを続けていくことが私達にとっても重要な課題なのだろうと感じました。

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「住民票相談プログラムについて」

 ふるさとの家 マーコ&トリヤマ

 

ふるさとの家では95年、藤本彰男さんが道頓堀川に落とされて亡くなった事件をきっかけに、もし何かあった時のために身許を示すものがほしいという方に利用者カード(自己申告による名前、連絡先、写真つき)を発行し始めました。

当初の思惑と違い、その利用者カードが特別清掃事業(特掃)の身分証明に使われるようになり、希望者も増えました。仕事がまったくない中で、月2〜3回しかなくても輪番で必ず就労できることはとても貴重です。55歳以上という年齢や、限られた就労回数の制限をすり抜けるため、年齢や名前を工夫して申し込みたいと思う方も出てきて、雇用主である府や市の制限が一昨年から厳しくなってきました。仕事がなくて野宿を余儀なくされる労働者が大勢いる中で、特掃は労働者の数に見合うだけの量のある事業ではありません。

ふるさとの家では反失業連絡会の行政交渉にみんなと共に参加し、特掃の拡充を求める一方、一人でも多くの労働者に登録する機会を失わせないために特掃登録の身分証明の手助けをすることに決めました。住民票の異動ができる場合は手続をして、できない場合には利用者カードの発行をすることにしました。諸費用を協友会が立て替えてくれることになり「住民票相談プログラム」が始まりました。このプログラムを利用してもらうことで費用や連絡先の問題がなくなりました。

相談を受ける中で、失踪宣告(生死が7年間明らかでない不在者は死亡したものとみなされる)の取り消しや就籍(戸籍がないとき新しく戸籍を作る)の手続が必要な場合もありました。これらの家庭裁判所での手続は費用も時間もかかります。以前に自ら家裁で手続をしようとしたけれど、家裁に費用を払えず、すっかりあきらめてしまっていた方もなんとか最後まで手続できました。また家裁での手続が終わった後、兄弟との縁が復活した方もいました。

一方で予想していなかった事態も出てきました。

虚偽の住民異動届を提出され、別の住所地に住民登録されていたり、虚偽の養子縁組届が提出され、戸籍上姓が変わってしまっているケースです。本人の知らないうちに第三者によって行なわれているのです。他人の住所を勝手に異動して健康保険証や印鑑登録を手に入れ、多重債務者を他人になりすまさせる。もしくは虚偽の養子縁組で改姓させる。そして新たに融資を申し込んで金融機関や信販会社などからお金を騙し取るという手口です。これらのケースは、自分の姓では融資を受けることができない多重債務者を餌食にする何らかの組織が絡んでいる様に思われます。そして自分の住民票や戸籍が悪用されたことを知った本人が、役所に相談に行くと「本人確認を行って手続をしているのでウチには問題がない」とまるで責任をのがれるような口ぶりです。警察に相談に行くと「被害者はあなたではない、だまされた役所やお金を貸した側が被害者だ」と相手にしてもらえません。住所を悪用された上に自分になりすまされ、身に覚えのない借金を背負わされた本人は被害者ではないというのです。結局、解決するためには、自ら役所で覚えのない住民異動の取消を求めること、家裁で養子縁組の無効を求める手続、借金がどれぐらいあるかを調べ、相手の会社に異議を申し立てることが必要でした。住民票を勝手に動かされた方の中には5件で約600万もの借金を背負わされている方もいました。約20名との虚偽の養子縁組を繰り返されていた方にいたっては、自分の姓を取り戻すのに2年もかかりました。

 戸籍・住民登録制度には疑問を感じつつも、それでも仕事に行けるならと、このプログラムを始めると、口コミで徐々に相談者は増えていき、この2年間で約250件の相談がありました。交付、郵送に必要な費用が後払いでよいことが喜ばれました。これは費用立て替えの相談の場がこれまでなかったためと思われます。立て替えた費用も、みんな仕事にいけたときに少しずつ返しに来てくれています。今後も住民票の相談は必要とされるでしょう。しかし、本来必要なのは、書類上の住所ではなく、実際の住むところなのです。書類上、住所ができても、夏は暑さで倒れ、冬は寒さで凍死する、寝ているところを襲撃される、そのような厳しい状況に追いやられてしまっているという現実はそのままなのです。

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釜ヶ崎日録 2006.2−7月
2月
2/3 大阪市が1月末に行った公園からの野宿者テント強制撤去の費用が1100万円、うち輸送費の300万円は野宿者に請求するため行方を捜しているとの新聞報道がされる。
2/9 シェルター・木曜夜まわりで協友会で準備した新しい下着を野宿者に配布した(400組)。
2/13 野宿者を東大阪市のアパートに住まわせ、生活保護費をピンハネした詐欺容疑で4名が逮捕される。

 

3月
3/2 JR京都駅構内でシャッターに挟まれ野宿者が死亡。周囲を確認せずシャッターを閉めたJR社員が業務上過失致死で逮捕された。
3/4 大阪市立大学で「日独ホームレス問題シンポジウム」開催
3/12 協友会:越冬総括集会
3/14 兵庫県姫路市で、足にしょうがいのある野宿者が少年たちに火炎瓶を投げられ、焼死。
4月
4/1 協友会「元気まつり」を開催
4/17 天王寺公園南側遊歩道にあった野宿者のテントが30張撤去される
4/23−24 協友会春の合宿(場所:神戸学生青年センター)
4/24 兵庫県尼崎市の公園で、野宿者の住むテントで18日以降5件の不審火があった。
5月
5/1 釜ヶ崎メーデー
5/2 日本橋公園のテントが4張撤去される。
5/5 こどもの里26周年パーティ開催
5/8 天王寺公園事務所に対して、公園追い出しを受けた野宿当事者、日本橋公園、西成公園支援グループ、協友会メンバーなどが抗議行動を行う。
5/11 3月におきた姫路・野宿者焼死事件で、主犯格の18歳少年が起訴される。
5/12 今年1月に野宿者テントの強制撤去があったうつぼ公園で開催された「世界バラ会議」に抗議してデモ
5/17 大阪市保護課と協友会との意見交換会
5/17 大阪市天王寺区「一心寺」で、野宿者へのシャワー施設の無料開放が週1回のペースで始まる。
5/20 東京・三鷹市が野宿者支援団体に市施設の利用を認めない問題が報道される。
5/20−21 山王こどもセンター:春のキャンプ
5/20 釜ヶ崎周辺に住む人たちの紙芝居、詩などを楽しむイベント「釜ヶ崎フェスタ2006」がリバティおおさかで行われる。
5/26 今年1月うつぼ公園で行政による強制代執行が行われたとき、市職員に対する傷害容疑で逮捕された野宿者が保釈される。
5/31 昨年10月より三鷹市が「夜まわり三鷹」に施設の利用を認めないことに抗議し、「夜まわり三鷹」が市長宛に要望書を提出。翌日使用を承認されるが、従来の規則が変更され参加者の名前・住所の提出が義務づけられるようになるなど問題を残している。
6月
6/1 恵美公園でテント撤去が行われようとするが、テント居住者・支援者が抗議し、中止となる。
6/7 協友会:新人オリエンテーションがある。
6/8 1月にうつぼ公園で逮捕された野宿者の判決が出る。
6/21 大阪市職員(保護課・ホームレス自立支援課・ゆとりとみどり振興局)との意見交換会
6/24−25 寄せ場交流会が横浜で開催される。同会場にて、25日午後寄せ場野宿者運動全国懇談会が開かれる。
6/28 姫路・野宿者焼死事件の初公判が神戸地裁姫路支部で行われ、少年は殺意を否定。
7月
6月の撤去に抗議し、恵美公園に住み続けていた人のテントが7月中頃に撤去される。
7/5 「『持たざる者』の抵抗−日本とフランス−7.5関西交流集会」がエル大阪で行われる。