テキスト ボックス: 題字 内藤孝彦(書家)

 WEB版

長居公園の行政代執行に芝居で抗議するテント村住民と支援者(2007年2月5日)

 

はじめに

私たちの運動

 

事件の発端に何があるのか

私たちの活動する釜ヶ崎や、大阪市の日雇い労働、野宿をめぐる周辺では、大阪市による世界バラ博のための靭・大阪城公園に対する行政代執行(2006.1.30)以降も、はじめに排除ありきの施策が続いています。2006年春には、天王寺公園外周、日本橋公園、愛染橋公園、関谷町公園と立てつづけに排除が行なわれ、これらは、公園に住むテント生活者のもとを公園を管理している大阪市職員数人でおとずれ、取り囲むようにして都市公園法を盾に出て行くことを迫り、同意書(公園を出て行くことへの)を書かせるというものでした。当事者から要請を受けた支援団体は、大阪市に対し交渉を求めますが、市は「当事者とは話をするが、団体とはしない」という姿勢を取り続けます。

こうした流れのなかで、2006927日の不当逮捕が起きます。一件は422日に南海汐見橋駅近くのテント群の大阪市による薬剤散布において、排除など不当な扱いをしていないか業務を監視していた時に。もう一件は、日本橋公園から追い出された人が、西成公園に住むところを求めてテントを建てていたところ、公園を管理している大阪市職員が阻止しようとして起きました。容疑はともに業務威力妨害で、内容も当たった、触ったの域を出ないものですが、勾留期間は今日(20078月)で10ヶ月にも及びます。裁判所は、被告人に反省が見られない為としますが、人権を無視した脅迫まがいの排除には何度でも抗議の声を上げるでしょうし、抗議を行うことは正当な権利で、護られなければなりません。見せしめとしか言いようがなく、今年長居競技場で世界陸上を開催するためテント村排除を見越して、運動を事前に萎ませようという狙いもあったのでしょう。

 

硬化する行政の体質

200611月には大阪市の執行会議(市長、助役など5名が参加)で長居公園テント村にに行政代執行を行なうことが決まったと知らされました。長居公園テント村では、地域との関係を大切にし、芝居や音楽も含めたイベントを催したり、自分たちで作った野菜を販売したりして交流を深めてきました。さまざまな偏見に晒される野宿生活ですが、実際に関わり、知ってもらう開かれた場として、大きな意義をもっていました。

大阪市の公園管理を担当している人たちも、継続した関わりのなかで、なぜここにテントを張らねばならないのか、なぜ出られないのか、理解してくれる人もおり、また工事を行なわねばならない時は、その区域から移動するなど協力関係を築くことができましたが、執行会議の決定以降、現場人員の移動も行い、大阪市は強制排除へ向け姿勢を強固にして行きました。

協友会では、今年の春に大阪市で公園管理を担当する「ゆとりとみどり振興局」と話し合う場を持ち、その席で施設管理担当課長は「あくまで話し合いで解決して行くのが我々のスタンスだ」と言いますが、しかし、自立支援センターか、シェルターに入れ、いずれにしても出て行けと要求を突きつけることが話し合いと言えるでしょうか。その“話し合い”の結果、大阪市は行政代執行という力技で、彼らの問題を“解決”しているのです。

何百人と動員された大阪市職員、警備員、警察に囲まれ緊張が走ります。何度も何度も話し合いを、対話を求めながらこうなってしまう。話の出来る人は配置を変えさせられ、強硬な追い出しを進めながら、「話し合いの努力を続けたが、やむおえない結果で残念だ」と言えるような人が残り、出世していく。

行政代執行を行う前には、該当物件の所有者に弁明する機会が与えられます。行政が一方的に権力行使を行なわないようにこの機会がもうけられていますが、では誰がいつ、提出された弁明書を読み、検討し判断したのか、大阪市からは何の回答も得られず、「もう(代執行を)行なうことは決まっているのだから、読んでも読まなくても一緒だ」ということを大阪市職員が真顔で言うので、おどろくばかりです。住民票削除の問題でも、それを決定した市長に対し、誰か現場の状況をよく知っているものが意見しないのかと問うと、「市長は社長みたいなものだから(誰も意見しない、出来ない)」と答えた職員がいました。西成区がこのことを黙認してきたのは、施策によって救済されない住所の問題に、何らかの措置が必要であることを認識していたからです。

 

居場所を求めて

住民票の問題の発端は30年前に遡ります。日雇い労働で生活する釜ヶ崎の労働者が、日雇労働者雇用保険(通称白手帳)に加入するために住民票が求められ、労働者が常宿としていた簡易宿泊所(通称ドヤ)に住所を置くことを行政は認めなかったため、労働組合が事務所に住所を置いたのが始まりです。建設・土木の仕事は景気や天候の影響をまともに受ける不安定な仕事で、だからこそ必要な雇用保険なのですが、行政の求める住民票を置けるアパートなど住宅は、収入が安定しなければ実現できず本末転倒しています。

石炭から石油へと急激に転換するエネルギー政策のなか、バタバタと閉山になった炭鉱の労働者、中学校あるは小学校を出てすぐに仕送りのため、あるいは口減らしのため都会へと働きに出た人たち。都会には日本の経済成長とともに建設・土木の仕事がありました。戦後に再スタートした日本の経済は、新しい民主主義の思想、理想を背景に成長し、物が増え豊かになることは、経済的に成功することは、差別や貧困も含め、あらゆる問題を解決するように思えましたが、釜ヶ崎に来た彼らには、その時すでに帰る場所はなかったのです。

そうした人たちが集まる釜ヶ崎で、住所を置くということは、居場所を、戻る場所を提供するということでした。帰れる故郷はなくとも、毎日あいさつを交わし生きられるというだけでも、立派な居場所であり、生活の拠点です。

 

私たちの運動

私たちの運動は、公園から出て行くことや、住民票を削除することに反対しているのではありません。人や人生は決して規格品のようにはなりません、しかし、まるで規格外かのように扱い、矯正や再教育が必要かのように扱い、そうした人たちが私たちとまったく同じ人間で、なぜそういう状況に置かれているのか考えもせず、振り返りもせず、役所の好きな“適正化”という言葉をつかい、人としての権利や生きる権利を省みず、そこにある生活や居場所を寸断し破壊すること、人であることからの排除に反対し、抗議しているのです。

長居公園での行政代執行、住民票削除の時には、他人事ではないと感じた若い人たちや、近所に住んでいるから、など理由はそれぞれに、沢山の人が駆けつけてくれました。2000年以降の企業ニーズと人材派遣会社の急増を背景にした200万人といわれる非正規雇用、不安定就労にある若者たち。働いても働いても生活苦から抜け出せない毎日を送る人たちの存在が表面化しているなかで、さまざまな人たちが、それぞれの形で声を上げています。経済的格差による貧困を背景としたこうした運動は、いま、垣根を越えて、結びつこうとしています。

今年778日には24回目の全国地域・寄せ場交流会を私たちの地元、大阪で開催し、全国から約300人が参加者を迎え、成功裏に終えることができました。今回の協友会通信では、そうした変化しつつある運動のなか、大阪での活動で寄せられた人たちの声を、お伝えします。どうか私たちの運動に、心をお寄せください。

 

釜ヶ崎キリスト教協友会・記録白書委員会編集長 森下敏行

 

−もくじ− 

9.27弾圧事件

9.27弾圧事件の意味するもの ・・・1

新聞記事より ・・・2

陳述書 ・・・4

最終陳述書 ・・・14

 

住民票問題

住民票問題の経過 ・・・22

新聞記事より ・・・28

住民票問題日録 ・・・38

大阪高裁判決に見える差別と偏見 ・・・41

おかしいことはおかしい ・・・42

大阪市による住民票削除と山内訴訟に対する大阪地裁判決の意義 ・・・43

 

長居公園行政代執行

長居公園仲間の会 ・・・45

新聞記事より1 ・・・53

Sさんの弁明書 ・・・57

新聞記事より2 ・・・61

長居のこと ・・・66

あたしとテント村 ・・・70

釜ヶ崎日録

編集後記


 

9.27弾圧事件の意味するもの

 2007927日の朝8時過ぎ頃だったと思いますが、釜ヶ崎日雇労働者や、野宿を余儀なくされている労働者等の生活保護の相談活動を行うために、医療連事務所にいつものように出向いた時、いきなり医療連メンバーから電話がありました。電話での問い合わせの内容は、「今朝、稲垣さん(釜ヶ崎地域合同労働組合委員長)らほか数名が捕まったようだが、大谷さんは大丈夫なのか?」と言ったものでした。その日の夕刊各紙にこの事件のことが掲載されており、ようやく、事件の概要を把握することができました。とりあえずは、その日の夜に、各公園で野宿生活を続けている労働者や、野宿者支援団体、さらには、この間の大阪市による強制排除に対し、共に闘ってきた労働組合の仲間たちが集まり、「反弾圧9.27救援会」を立ち上げました。

 今回、927日の早朝に令状逮捕された、稲垣さんを含めた4人(他1人は別件での令状逮捕で、20日間拘留ののち釈放される。)は、清掃作業をしていた大阪市職員に暴行を加えたという容疑で、結局のところ起訴されます。しかしながら、大阪市職員に暴行を加えたという容疑についてですが、実際には、ビデオ撮影に抗議しただけの些細なことであり、しかも令状逮捕される何ヶ月も前の出来事だったのです。

 今回、927日に令状逮捕された5人は、大阪市がこの間強行している、野宿者強制排除に対し、共に反対の取り組みを続けてきた仲間です。今回、4人の仲間が起訴された事件についても、清掃等を名目として、大阪市が野宿者のテント潰しを行わないよう、現場で監視の取り組みを続けていた際のトラブルに過ぎないのです。そもそも今回の927日における逮捕の件について、その根本的な原因は、あくまでもテントを張って野宿することを許さないという大阪市の強硬か姿勢にあります。そして、この大阪市のやり方に抗議する者は、例えそれがどんなに些細なことであっても、警察権力を使って弾圧するという、大阪市=行政の強い意志を、今回の9.27弾圧を通して改めて感じています。ともかく、起訴された4人の仲間の保釈がなかなか認められないという状況が大きかったと思いますが、大阪市は、200725日には、昨年の靭・大阪城公園に引き続いて、長居公園にも行政代執行を強行したのです。

 今回の9.27弾圧に限らず、最近では、ビラ撒きをしたぐらいで、逮捕される事件が、全国的に相次いでいます。行政のやる事に、自由にものが言いにくい時代に突入したとも言えます本当に恐ろしい時代になったと思います。このままでは、この国には未来はないといっても過言ではありません。そういった時代状況であるからこそ、行政がやることで、「おかしな」ことはおかしいと言い続ける勇気と、そのことに対して弾圧があったとしても、それをはねのける強固な体制作りが、全国各地のそれぞれの現場で、今、一つの課題として求められていることであるように思います

大谷隆夫

 

9.27弾圧事件とは、前ページにも紹介されています。’06427日、大阪市が路上清掃を口実に、大阪市浪速区汐見橋付近の路上テント生活者の追い出しを計ったことへの抗議が、威力業務妨害にあたるとして、後日二人が逮捕されました。また、613日には、西成公園にテントを建てようとする労働者を市職員が止めようとするので抗議すると、これまた威力業務妨害で、後日三人が逮捕されました。その事後逮捕の’06927日だったので、総称として「9.27弾圧事件」と呼びます。ここでは、逮捕された4人の法廷での冒頭陳述(418日)と「最終陳述」(717日)を本人たちの了解のもとに紹介します。本人たちのことばから、この事件の意味を汲み取ってください。

 

1.陳述書(汐見橋)

稲垣 浩

 公判前整理手続きは、密室裁判のようなものであり、被告人を長期勾留する口実になると分かりましたので、今後、私が裁判を受けるようなことがあれば、この手続きを拒否します。

 

 私が反対して戦っているのは、警察も含めた「差別行政」です。行政の施策一般に反対しているのではありません。検察官は、私がことごとく行政に反対しているかのように言っていますが、それは違います。

 

 釜ヶ崎は西成区にあって、面積は0.62平方メートルの日雇い労働者の町です。そこには西成警察署が15台もの監視カメラを設置して24時間日雇い労働者を監視しています。労働者は釜ヶ崎を「塀のない刑務所」のようなものだ、と言います。世界中どこを見ても、監視カメラによって一つの町が監視されているところはありません。

 

 釜ヶ崎のなかにある、通称「センター」といわれるところの3階にあいりん職安が設置されて36年たちます。未だに1件の仕事の紹介業務をした事がありません。その結果、日雇い労働者たちは、違法な手配師や人夫出しの手を通じてしか仕事に就くことができません。数年前に、朝日建設の飯場に入っていた日雇い労働者が殺害されると言う事件がありました。暴力を振るわれたり、働いたお金をもらえなかったり、労災をもみ消されたりもしています。日雇い労働者の人たちが安全に仕事に就けないという状況が続いています。

 ちなみに、同じように日雇い労働者の町である東京の山谷、横浜の寿町、名古屋の笹島では、そのなかにある職安が日雇い労働者への仕事の紹介業務をしています。あいりん職安では一件もありません。あいりん職安が仕事の紹介をしないのは国の差別行政です。

 

 大阪市の出先機関である市立更生相談所は、日雇い労働者の人たちが生活に困った時に訪ねていく窓口になっていますが、生活保護法の原則は居宅保護であるにもかかわらず、いまだに大阪市の方針として施設収容を繰り返しています。これも差別です。

 

 釜ヶ崎の中に、萩之茶屋小学校と今宮中学校があります。その壁に、散水装置が設置されています。この散水装置は、花や木に水をやる為の装置ではありません。野宿者が野宿をしないように、歩道に水をまいているのです。生徒が通学する前に「掃除」と称して今も水を流しています。これを見た生徒達は、「野宿している人は水をまいてでも追い出せばいいのだ」という考え方になる子もいるでしょう。子供の教育にとっていいとは思いません。差別を植えつける教育ではないかと思います。

 

 大阪城にできたシェルターは、個室ではありますが、横が1.5メートル、奥行きが1.8メートル、その中にベッドが一つ置いてあるだけのものです。これは、私が大阪拘置所で入っている独居房の畳の面積と同じです。畳部分の後ろに手洗いやトイレがあるので、独居房のほうが大阪城のシェルターよりも広いのです。入口にはアコーディオンカーテンがあるだけです。プライバシーもありません。シェルターから出てきた労働者は「鳥が卵を産むために入れられているケージを連想する」と言っていました。

 釜ヶ崎の通称三角公園の南にあるシェルターには寝床に枕もありません。枕がなくて眠れますか。健康で文化的な生活とは思えません。

 

 2002年にできた「ホームレス自立支援法」は、排除と収容を意図した法律で、特に11条は、野宿生活者の排除をうたっています。それ以外の部分に関しては、そもそも現行法を適用すれば十分対応できるものです。大阪市はこの法律を忠実に実行しており、公園に設置されたテント小屋を次から次へと行政代執行で排除しています。

 この法律は、天下の悪法です。らい予防法と同じ、廃止にすべきです。

 

 大阪市は、釜ヶ崎解放会館に住民登録した日雇労働者の人たちに大阪市は住民登録を強制削除しました。これは、釜ヶ崎の日雇い労働者が簡易宿泊所を転々と移動せざるをえないことなどをまったく考えずに行われたものです。

 

 汐見橋の件ですが、野宿している人々を強制排除する材料として「掃除」「薬剤散布」を使っています。当日、私はたちはテント小屋が大阪市の職員によって強制排除されないよう監視活動をしていました。私や仲間の人たちが肖像権を侵害されたので、大阪市職員が撮影しているビデオカメラのレンズを手で覆っただけです。暴力と言われるようなことをしていません。

 

 私の母親は今年の219日に亡くなりました。自分の命と引き換えに、私を権力の手から奪い返し、私を自分の手元に連れ戻しました。私も、こういう死に方ができればいいと思っています。

 

 最後に、去年の130日、靭公園で大阪市により強制排除された山田さんが、その後扇町公園のテントの中で亡くなりました。靭公園で、排除と収容を拒否して戦った山田さんと、路上で亡くなったすべての人たちに捧げます。

 

 私のことを野垂れ死にと言わないでください。

 大阪市が撃ちはなった「差別」という銃弾が私の命を奪ったのです。

‘07418日)

 

2.陳述書(汐見橋)

垂見徳仁

●今検察官が言った日時にその場所に居たことは争いません。

●しかし、稲垣さんと共謀などしていません。今検察官が言ったような妨害行為もしていません。

●私は大阪市の職員に対して正当な抗議をしたのです。なぜそのような抗議をしたのか述べたいと思います。

1. 私は仕事の無いときはよく中央図書館に行きます。その途中でフォスターの草競馬の曲を流しながらゴミの回収作業をしている市の車を汐見橋線の通り沿いで見かけます。線路に沿ってテント小屋で生活している人たちの前を通り過ぎて行きます。それをみるたびにいつも思います。

   なぜ、一緒にゴミの回収をして行かないのかと。きちんと一箇所に固めて置いてあるのに、どうして2ヶ月も放ったらかし、わざわざ大掛かりに人員も車両も民間業者に注文して大勢でやるのかと。日々の回収のエリアに組み込みさえすれば、日常の業務で、しかも滞ることなく清潔であるはずです。

   ここに、大阪市の姿勢が見えます。現実に存在し、生きている人間を無視する姿があります。ゴミを日常の業務として回収すると、そこに生活している人たちの生活実態を認めてしまう、といった何とも了見の狭い考えがみてとれます。

   それは、ゴミを回収しているときにも現れています。大勢でドタドタとやってきて無言のうちにガチャガチャとフェンスをはずし、走るようにして通り過ぎて行きます。そこに暮らしている人たちに声をかけるでもなく、人が居ることを知らないかのように無視していく。

   私にはそれはある種の脅し、嫌がらせのように見えます。わざわざ2ヶ月もゴミをため、周りをフェンスで囲い、さらには小屋に「不必要な物品を処分する」と貼紙をする。歩道を行く一般の人たち、車で前を通って行く人たちにさえも、テント小屋そのものが不必要な物品であるというイメージを植えつける行為をしていくのです。そこに生き身の人間がおること、何十年という時間を生きてきた具体的な存在の人間が生きている現実を無視している大阪市の姿があります。

2. 2月7日産経新聞に載った撤去を控えての長居公園の記事にこんなことが書かれています。

  「1月30日行政代執行にかかわる文書の通知のためテントを訪れた市の担当職員に野宿者グループの青年の1人が無言で「申入れ書」を渡そうとしていた。市とグループの間で話し合いの場を作るように求める内容だった。課長は文書を受け取ろうとはせず、そそくさと歩き出した。追いかけて課長の前に立ち、唇をかみ締めながら再び「申入れ書」を差し出す青年。課長は目をそらしながら歩き続ける。次第に白ヘルメット姿の市の職員が集まって来て、課長をガード。はじかれた青年は「申入れ書」を渡せなかった。野宿者グループの要望を受け入れられるかどうかは別として「申入れ書」を受け取ることに何か支障があったのか。「申入れ書」一枚すら受け取れないとなると、きちんとした対話ができているのかと疑問に感じてしまう。青年が課長に文書を渡そうとしたのは野宿者テントへの通知業務を終えたあとのことだ」と。

   このような記事が載っていた。ここに、大阪市が今まで公園や路上や河川敷で野宿生活をして生きざるを得ない者たちへの対応の姿がよく現れています。目の前に存在している生き身の者の存在を無視する姿が見えます。

   「テント小屋が減ればよい、公園から路上からなくなればよい、住民基本台帳法に載っていない者はこの世に存在していない者だ、この世に存在していない者がテントの中に居ても居なくても知りません」と言うことなのだろう。

   大阪市はその人たちの言い分は聞きません。大阪市の用意した「自立」しか認めず、それに乗れないのなら様々な人権が剥奪されてもかまわない、と言っているに等しいです。それを証明しているような事例があります。

3. 釜ヶ崎解放会館に住民登録している大勢の労働者から住民登録を取り上げようとしている大阪市の姿勢に対して、1月26日から2月8日まで西成区役所で開かれた個人説明会に付き添ったスタッフが質問をしました。「野宿している人はどこに住民票を置いたらいいのですか?」と。「そんな相談は想定していません」と担当者。「では、どこに相談すればいいんですか?」と尋ねると「そんな窓口はありません」と答えたと言います。

   大阪市は住居をもてない人たちに何の配慮も救済策も示さず、住民票の登録の削除を強行しました。大阪市にとって、路上で生活する者、公園で河川敷で生活する者は存在しない者たちなのでしょう。

4. 2005年11月の毎日新聞にこの10年間の大阪市における「行路病死者」の統計表が発表されていました。そこでは2003年から2005年と連続して1000人を超えています。

   野宿生活者が救急車を呼んでもらい、運ばれていくときは行路病扱いです。「行路病死者」つまり行き倒れです。救急車で病院に運ばれても身元の判明が困難であったり、身内の者がなかなか引き取らなかったり、引き取り手が現れなかった人たちがその多くです。今の時代、四国や西国札所巡りのお遍路の途中で倒れても引き取り手が現れないなどとは考えられません。この1000人を超える人の大多数が60歳を超えると思われる年配層であるといいます。そして、90%を超えて男性であるともいいます。

   3〜4年前までは1万人を越すと言われていた公園、河川敷、路上での野宿生活者の数が4000〜5000人に減ったと言われています。確かに見た目の限りでは公園からテント掛けの野宿生活者の数は減っています。しかし、減ったのは“死んで逝った”のです。この「行路病死者」として扱われた人たち、釜ヶ崎で無縁仏として扱われた人たちこそがその人たちなのです。

   公園や河川敷から追われ、リヤカーや小さな台車、自転車の荷台に生活道具を積んで移動しながら、鉄道のガード下、高速道の下、路上で生活しながら倒れていった人たちなのです。

   大阪市が野宿生活者や支援をする人たちとの話し合いを拒み、力づくで強制排除を行い続けるのなら、私たちは怒りをもって抗議し続けます。現実に生きている存在を無視し、“テントのひと張り”“ベニヤの小屋の一個”としてしか野宿生活者を扱わないのなら、確かに私もそこにいる“この世に存在しない者のひとり”として抗い続けます。

’07418日)

 

3.陳述書(西成公園)

新里良光

この法廷の裁判官や検察官にしたって、やはり今も覚えていると思いますが、今年25日のこと、大阪市は行政代執行の手口をもって、それまで長居公園で生活をしていた野宿労働者のテントを潰し、その人らを一斉に公園から叩き出しました。

ただ、ここでの裁判官や検察官にしても、このことだけはまだ知らないでしょうから、この際、敢えて私からそれを伝えておきたいと思います。

それは何かというと、この間、大阪市が長居公園から叩き出した労働者のうち、藤田さんという名前の人についてです。

大阪市は、藤田さんを長居公園だけではなく、去年1月にも同じように行政代執行をもって大阪城公園から叩き出していたのです。

このように、大阪市は、行政代執行のために大阪城公園から長居公園に引っ越した藤田さんを、また行政代執行でそこから叩き出したというわけです。

私が伝えたこの事実につき、大阪市のいわゆる野宿者対策に則して、今もって私たち3名を大阪拘置所に放り込み続けている検察官や裁判官において、どんなふうに捉えるかは、私にもおおよそ想像することができます。

ただ、仮にそうであったとしても、今の私としては、次のことだけはどうしてもこの場で私を裁く裁判官に言っておきたいのです。

野宿労働者の多くの人は、これまでもずっと「国や大阪市が真面目に失業対策事業に取り組み、今の特掃仕事だって予算をもっと増やしさえすれば、わしらだって何も好きこのんで野宿してることないんだ。」と主張してきました。

大きくは、賃金仕事にありつけないところから、仕方なく公園などでテントを張って生活しているだけなのに、大阪市はこの間ずっとその労働者らを根っから軽蔑し、押さえつけることで、自分らの思い通りに服従させようとしてきたのです。

しかし、こんな一片の道理もない大阪市の野宿者対策が、この世にいつまでも続くはずはありません。

今の大阪市の野宿者対策とそれに味方する者らは、きっといつかは沢山の人達からあれこれ罪状をあげられ、厳しく非難されるに違いありません。

今のところ、片山さん、垂見さん、私の3名は、いずれも大阪市の公園事務所職員の仕事を邪魔したとのことで、検察官と裁判官の考えとその責任において、もう半年以上も拘束され続けています。

私は、今日やっと公判が開始されるにあたって、まず何よりも、毎日が大変でしんどい中を公判の傍聴に駆けつけてくれた外の友人たちを前にして、藤田さんがこの間長居公園から叩き出される時に書いた大阪市への抗議文を改めて今ここで読み上げることをもって、私のこの場での意見とします。

裁判長ら私を裁く裁判官全員は、この藤田さんの言葉を聞いて、大阪市の対応を今一度考えてみて下さい。

〔藤田則義さん〕

私は、去年130日にうつぼ公園、大阪城公園で行政代執行にあった当事者です。

今回、また長居公園も行政代執行をしようとしています。うつぼ公園、大阪城公園と同じで、満足な代替地も与えず、シェルターや自立支援センターなどへの強要と押しつけだけで、十分な話し合いもせず、私や仲間達、そして支援者の人達の話を聞きませんでした。公園事務所の人達や行政側の人達は。私達ホームレスの人達を人間として認めないで、強制排除、行政代執行という名の権力の暴力をまた行おうとしています。私達ホームレスは、一時避難している場所が公園であったり、路上、河川敷の場所です。たとえホームレスでも、生きているからには、生活する場所、人間として生きる小屋がけ・テントが必要です。

以前、大阪城公園で生活していたときに、テント・小屋がけをしていない人が、公園事務所の人達にシェルターに入れてくれるように頼んだところ、大阪城公園でテント・小屋がけしている人しか入れない、こういうような話を何人かの人達から聞きました。

テント・小屋がけをしないで夜になると大阪城公園に来てダンボールハウスを作って寝る人達に対して何の対策もせず、私たち、テント・小屋がけをしている人達には、シェルターに入れと強要し押しつける。行政は、同じホームレスでも、こうした偏見と差別をしています。目に見えてテント・小屋がけが減れば、それでホームレスの問題がなくなるわけではありません。

こういうことからでも分かるように、収容と排除が目的だけの行政側の人達に対し、私達は一致団結し、非暴力で戦っていきます。たとえ長居公園から行政代執行、または強制排除されても、私はどこかの公園に移動し、生活していきます。私は生命ある限り、これからも強制排除、行政代執行、行政の不当な行いに対して、強く抗議、行動していきます。弱者いじめや税金の無駄遣いをやめ、失業対策にもっと力を入れてくれることを、私達は要望します。今からでも遅くない、長居公園世界陸上大阪大会のための工事名目の不当な追い出しをやめて下さい。

行政側の人達はもっと話し合いをしようではないか。

本当にこれでよいのか、頭を冷やして考え直せ、行政側の人達よ。

以  上

’07418日)

 

4.陳述書(西成公園)

片山光昭

公園や河川敷などで、テントや小屋掛けで暮す人たちも常に追い立ての圧力に曝されている。

実際に行政代執行手続きや、あるいはそれさえなしに、テントや荷物を撤去されている事実が多数ある。

ホームレスには、ほんの数時間さえ、安心して、身を横たえる場所すらない。また、夜、身を横たえて眠りに就き、夢を見る場所も無い。どんな動物にも、己の体を横たえ、眠ることが出来る「あなぐら」があるが、ホームレスの人達にはそれさえない!

くしくも、西成公園で抗議行動があった昨年612日、同日の、笹島労働者会館広報に野宿者Aさんの次のような声が掲載された。

「あなぐら」

動物でも、夜、安心して眠れる「あなぐら」がある。

ホームレスには、安心できる「あなぐら」が無い。

荷物もダメ、小屋もダメ。

これでは「死ね!」といっているのと同じ。

 

もうひとり、大阪の野宿者でホームレス詩人のたちばなやすずみさんの詩集「野宿生活・春夏秋冬」から紹介します。

                         「地球にねてる」

           野宿者は怠け者ではない。一生懸命生きている。

           好き好んで野宿しているわけではない。

           日雇い仕事にいければ行きたいのだ。

           仕事が極端に少なくなり、一部の人しかいけなくなってしまった。

           日雇いの労働条件はどんどん悪くなっている。

           屈辱的な業者の対応。

           日雇い仲間との仕事の奪い合い。

           そんな仕事の奪い合いの争奪戦に敗れた。

           収入がないので野宿している。

             他人を蹴落としたり、不法な行為をしたり出来ない、要領の悪い、気の弱いうまく立ち回れない、そんな人達が賃労働に頼らない生活をしだしたのだ。

             ―やがて公園から追い出されるだろう。

              そのとき私はまた何もかも捨てて、どこか地球の上で寝ているだろう。

              地球に寝て、夜空の星を見て・・・・・

 

 また、谷川俊太郎がホームレスの男を歌った詩も紹介します。

                            「そのおとこ」

             「ひとびとは/まるで/そのおとこのことなど/

             このよにいないかのように/まっすぐまえをみつめ/

             いそぎあしで/とおりすぎていゆく/ひとびとが/

             ゆこうとしているところは/いったいどこなのか」

 

 日本で野宿している人々のうち、公園などにテントや小屋を建てて暮している人は、実は少数派だ。

 多くの人がテントなしで夜間のみ路上にダンボールを敷いて寝ている。熟睡できる時間はほとんどない。

 それは、テント無しで野宿する多くの人々に共通することだ。

 冬の寒い時期は明け方近くなると寝ることもできないほど冷え込み、夜が明けるまでぐるぐる歩き回る。

 朝になれば寝床を片付け、跡形もなくきれいにして立ち去る。

 こうした人々がどれだけカウントされているのだろうか。

 数えられることもない生。それが日本の野宿者だ。

 ホームレスの人々の存在は、まだまだわれわれの世界からは見えない場所にあるのだ。

 

 今回、私は威力業務妨害という罪で起訴されています。

 私は、そのとき現場にいて、行政の職員に抗議をしたのは事実です。ただし、私は新里さんや垂見さんと共謀したことはありませんし、その態様については、起訴状のとおりではありません。わたしは正当な抗議をしたと考えています。

’07418日)

5.陳述書(西成公園)

垂見徳仁

1 今検察官が言った日時に、その場所にいたことは争いません。

  しかし、新里さん、片山さんと共謀などしていません。また、今検察官が言ったような妨害行為もしていません。

  私は、大阪市の職員が野宿生活者に嫌がらせをすることに対して、口頭で、正当に抗議をしただけです。

2 なぜそのような抗議をしたかについて、事情を述べます。

  2006年1月、舞洲の“自立支援センター”という野宿生活者の収容施設が開設になりました。

  舞洲の収容センターが開設されるのを待っていたように、大阪市は公園・路上・駅前・高架下・河川敷・歩道橋下などで生活する野宿生活者への強制的排除を強行して来ました。まるで、言い訳ごとが用意されるのを待っていたかのようにして。“支援センターがあいている”“定員がまだあいている”と。定員を空けておく事が「支援センターをつくったから」「支援センターがありますから」と言う、世間やマスコミ向けへの排除へのかくれみのとして使われ、解決へ向けての本質のありかを探る努力をごまかす小道具に使われています。

  現に、ウツボ公園の行政代執行以後、暴力的な野宿者の排除が続けられています。約30人の野宿生活者を排除した天王寺公園正面入口南側通路をはじめ日本橋公園、関谷町公園、愛染公園などで、テント小屋掛け約100軒が排除されてきました。代執行の手続きもとらず、工事の予定もなく、ましてや十分な話し合いもない。あったのは公園事務所職員が複数で取り囲み、テント撤去の「承諾書」にサインを強要し迫るという「説得」という名の「脅迫」だけだった。そこには彼らの言うところの「聴聞」すらありはしない。これは行政による「襲撃」です。日本橋公園では、5月2日に公園事務所の職員が大挙して押しかけ、テントの中で朝食をとっている住人を引き摺り出してテントを潰した。テントにあった生活用品はもとより、現金や友人の遺骨を入れた入れ物すらゴミとして処分してしまった。この「襲撃」は代執行の手続きをとらずに行われているのです。

  野宿生活者を暴力的に排除しながら、かくれみのとして使われる舞洲の「支援センター」は、舞洲大橋を渡らないと人里にも行けない隔離された収容施設です。滞在期間は半年程度で、じいさん、ばあさん、体の弱いものたちは、たとえ入っても再就職先など見つかりません。収容施設を出ても仕事がない、その時住まうところがない、テント小屋は潰されて戻るところがないのです。収容施設ではダメ人間扱いを受ける。就労収入は、すべてセンターがあずかり金銭管理され、交通費昼食代は借金になり、収入で清算する、飲酒は禁止され、相部屋で規律も不評で、収容のための収容施設です。

  大阪市のやり方は、大阪市の用意する「自立」しか認めず、それに乗れないのなら様々な人権が剥奪されてもかまわないと言っているに等しい。野宿生活をしている者は、自らの金銭を管理できない。野宿生活をしている者は、社会的通念がないから、生活の常識を身に付けなければならず、共同生活の体験を経ねばならない。個的な生活空間ではなく、規則正しい生活の下で管理されなければならない。と言っているようなものです。

  いったい何の根拠をもって人をこのように無能な者とした扱いをするのだろうか。いわゆる社会参加のためという言い分のもとに市民社会の生活空間の場所から隔離したうえ、更に意図的になぜもこうして人格的な隔離をするのか。いわれるところの“われわれの健全な社会通念”の内実として行政業務に携わる市と議員によって選別がなされるとき、市と議員による日々私達が目にするところの犯罪だけでなく、隠匿・捏造・談合・八百長・粉飾・偽装・改ザン、等々の表出されるニュース記事の現実のみじめな姿を私達はどう受け止めたらよいのか。

  自立支援センターに収容されている人達は、大阪市によって年齢的・肉体的に”労働に耐え得る“と選別され、就労可能と判断された人達です。公園・路上・河川敷から排除されたその他の人達はどうするのです。大阪市から自らの意向に従った、労働可能な選別された者以外の、じいさん、ばあさん、身体の弱い者達は、排除された後どうするのです。

  大阪市のいわゆる「対策メニュー」を選べないでいる人達は、大阪市にとっては存在していない人達ということなのです。これらの行為が世間向けには「自立支援センター」への入所のすすめとして説明されているのです。

  長居公園で生活していた仲間が的確にこう言ってます。「野宿者の強制排除は行政による殺人行為である。自立支援と称し、クモの糸を垂らしたフリをしてそれを利用しない野宿者には『行政は面倒見ませんよ、死んでもかまいませんよ』と宣言することである。」と。

  眼の前の現実として確かに存在している人々の、存在と人格を無視したところで行なわれ、人をして、価値ある者とそうでない者とを選別していく、見込みのある者にだけ声を掛け、他の者は存在していない者として扱う施策の術として執行される収容所なら、ないほうがよい。

  その意味で、『ないよりはあったほうがよい』という立場に私は立たない。「それなりの成果をあげていることも認めることができる」という立場には立たない。

  今回、日本橋公園を強制的に追い出されて行き場をなくした野宿者を大阪市は西成公園からも追い出そうとした。そして、小屋を勝手にこわした。

  私はそういう大阪市のやり方に抗議をしたのです。

以上

’07418日)

 


 

1.最終陳述書

 垂見 徳仁

 この4月に、1月に実施された第2回「ホームレスの実態に関する全国調査」の結果が公表された。それによると、大阪市内のホームレスの数は4069人で、前回比38.4%減少であると。その内、公園では56.1%、路上では38.8%の減少であると示されていた。また、1月段階での公園での野宿生活者のテント・小屋が、およそ650700であると同じ時期の毎日新聞発表の記事も見られる。

 

 大阪市が、公園、路上、そして河川敷から排除し、立ち退かせた野宿生活者は何処へ行ったのだろう。私達には、大阪市がこの街中から排除・立ち退かせた者達に対して、身を横たう場所も、そして生きていく手立ても何一つなされぬままに、ただただ退去、排除が強行されているとしか見えません。

 

 去年の1月、大阪城公園、うつぼ公園におけるバラ博等のイベント開催を名目にした、行政代執行による野宿生活者の排除と相前後して、中之島から大川端にかけての、「一本1万円、私の桜」の植樹キャンペーンが展開されました。建築家の安藤忠雄氏を担ぎ出して、銀橋の所の造幣局から都島橋、毛馬橋の大川端右岸(北岸)を中心になされました。当時、造幣局前には70張前後の、そして毛馬橋までの公園には60ヶ所前後の野宿生活者のテント小屋がありました。

 また同じようにして、今年2月、「世界陸上開催」を掲げて、長居公園で生活している野宿生活者への、行政代執行が強行されました。そして、それと相前後するように、アートコーポレイションの寺田千代乃さんの音頭とりの形で、「美しい大阪をつくる100万本のバラの会実行委員会」が活動を始めました。その最初に行った所が、淀屋橋から肥後橋にかけての、土佐堀川沿い、土佐堀通りの“住友村”の前の歩道上での、路上生活者を退去させた後におけるバラの植樹活動です。そこには、1516軒の野宿生活者の小さなテント小屋が、低い植え込みに埋もれるようにしてありました。

 

 また私達が不当に逮捕拘束された昨年の9月に、堂島川に懸かる日銀裏のガーデンブリッジ上で「八百八橋おそうじ隊」なるイベントがなされ、地域の小学生の子供達が出席させられ、“お掃除”がなされました。この橋の上にも、雨を避けるようにして1号線の高速下につくられた小屋が7軒あり、また橋を降りたすぐわきのダイビル前の植え込みの陰に、4張のテントがありました。

 

 そしてこの6月より、水都大阪の掛け声に伴って、中之島・大川端沿いの何ヶ所かに、水上バスの発着所増設と剣崎公園の整備が声高になっています。この裁判所の正面にも船着き場を新設する話があります。ついこの1月、私達の公判が始まったときは、植え込みの所と下の川縁のテラスの所に15軒程の野宿者のテントがあったはずです。また、その計画では、京阪天満駅の北側大川部分を掘り下げ、船着き場と改札口を繋ぐ地下連絡通路を作る発表が先日なされています。大阪市民にはあまり知られていませんでしたが、京阪天満駅のビルの中には、「ホテル・キャスル」があり、この営業が大阪市の出資でなされておったのです。毎年10億円〜12億円程の持ち出しであって、それを今年限りで撤退し、京阪に譲渡するという事が4月か5月の紙上に発表されてました。

 この天満駅の、78mある大川端沿いのコンクリート壁沿いにも、30数軒のテント・小屋で生活している人々がおりました。

 また、天神橋下の螺旋階段の部分から、バラ園の渡り橋の植え込みまでの剣崎公園には、今でも80ケ程の小屋とテントがあり、野宿生活者が暮らしているはずです。

 

 これら総べての活動が、野宿生活者の排除・退去の圧力と重ねられたところで行われている。野宿生活を余儀なくさせられている者が、身を横たえて雨風をしのぐ場所を提示することもなく、行政によって強圧的に行われているこのキャンペーンは、民衆によって民衆を排除・放逐するという姿をとっています。市民が行く場所のない者達、生活の手立てを失っている者達を、更に追い立てていく、という構図を、行政によって取らされています。このことは市民にとっても、追い立てられる野宿生活者にとっても、これは人間性への侮蔑です。行政によって虚構化された市民参加という姿の中で、市民そのものが抑圧する者として、野宿生活者の前に立ち現されてしまう。行政はこの対立の構図をもって排除と退去を押し進めようとしており、休みなく、そう、花壇の花を植え替えるように、次から次とイベントを繰り出して、市民の実際生活を虚構化して行く。これは、人を物と同じように淘汰の対象にしてしまい、人間的な思い遣りや尊厳といったものを失わせてしまう、人間性の衰弱を、一般市民にも強要していることと同じです。

 

 大阪市によって排除、立ち退かされた者達は何処へ行くのか。大阪市は知っている。釜ヶ崎に1250人分の無料宿泊ベッドがあることを。もうすでに、そこが満杯である事は、大阪市にとっては知ったことではない。毎夕、一辺100mもあるセンターの周りをぐるっと取り囲んで並び、100人以上のものが、毎夕アブレてシェルターに泊まれないでいることなど知ったことではない。更に、公園を追われ、路上のテントを潰された者が寄って来て、ますます並ぶ者の数が増えたとて、知った事ではない。大阪市にとって重要な事は、釜ヶ崎に無料宿泊ベッドがあるということだけなのだ。

 大阪市は知っている。釜ヶ崎に行けば、一日一食はどこかの炊き出しに出会えることを。或いは、釜ヶ崎の近辺を上手に廻れば、一日二回は食べることが出来るかも知れないことを。釜ヶ崎では主としてキリスト教関係者によって、また、篤志家の人達、或いは労働運動や市民運動をしている者達によって、どこかで炊き出しが行われている。大阪市は、そのことをよく知っている。だから、釜ヶ崎へ行けば、なんとか喰いものを腹に入れられることを、そして運がよけれりゃ、ベッドに寝れると思っている。

 だから、公園の小屋を、路上のテントを潰されたものが、“何処に行けばいいのだ”と詰め寄っても、うしろを向いて、ニヤついている。むしろ大阪市は、路上で生活している者を、公園で生活している者を、釜ヶ崎へ追い込もうとしている。

 

 大阪市によって排除され、立ち退かされた者達は、何処へ行くのか。

 

私達は

街の中を、少しばかり気をつけて歩いて見るといい。

高速道路の歩道脇が

 漬物石ほどの大きさの石で敷かれ、コンクリートで固められているのが見えるだろう。

 歩道橋の階段の下に

 あんなにも大きな岩が

 ゴロン、ゴロンと置かれているのが見えるだろう。

 なんだろう、このベンチは。

 手摺がふたつもあいだにつけられ、

 三等分に区切られてしまっているではないか。

 街のあちこちで

 意地の悪い、こんなアートに出会えるだろう。

 

 わたし達には、身を横たえる場所がない。

 

2.最終陳述書

稲垣 浩

勾留理由開示公判は被疑者を勾留するか否かの重要な公判だと考えます。裁判官は手元にある資料をすべて開示すること。その上で、被疑者の拘留が正当なのかそうでないのか裁判官自ら明らかにすべきと考えます。

 ところがほとんどかいじせず、警察官や検察官の作成した資料を是として一方的といっていいほどにその資料をうのみにして拘留を決定してしまいます。これに対抗する手段を、拘留中の私は行使できませんせした。

 今回私が獄中で読んだ検察官提出の大阪市職員谷口博氏の陳述は明らかに作為が感じられます。4月27日当日、私が谷口氏の肖像権の侵害行為に対して抗議し始めてから、谷口氏と垂水氏が向き合っていた現場に到着するまでの間、谷口氏の言葉を借りれば「ずっと付きまとっていた」ことになっています。しかし私のビデオでは、見てもらったら分かるように、私に『何の作業撮ってんのじゃ』と抗議されてから北へ歩き始めたころより、垂水氏と向かい合ってビデオ撮影をしている谷口氏を発見し、垂水氏が撮影されないようにビデオカメラのレンズの前に手を出したときまでの約3分52秒間、私は谷口氏の近くにいません。それなのに勾留理由開示公判時に裁判官の手元にある資料では、この間、ずっとつきまとっていたことになっているのです。大阪市職員の山岡証人もそれに追随した調書を作成しています。

 裁判官の私に対する心証はこの部分で悪くなったと推測されます。未に覚えの無いことを、あたかもやったように作成された調書に驚きを感じています。大阪市という権力と警察という権力が組めば、白を黒と言いくるめることも容易にできるんだということを改めて知りました。要するに権力者はなんでもできるんですね。

 真実を明らかにして判決を下すのが裁判官であるのなら、勾留理由開示公判において、裁判官自らが積極的に真実を明らかにすべきです。それを「捜査段階だから言えない」では真実が明らかにならず、被疑者の防御権の行使ができません。そのことを強く感じた裁判でした。

 肖像権の侵害行為に対しては「写したらあかん」と言っても侵害行為をやめなければ意味がありません。カメラのレンズを塞ぎ、写されまいとするのは当然の権利であると考えます。私は谷口氏の持つビデオカメラをつかんだこともなく、手首をつかんだこともなく、体をフェンスに押し付けたこともありません。ただひたすら、彼の持つレンズを手のひらでふせ塞ごうとしていたのです。彼の大げさな言動にも注目していただきたいと思います。

 そもそも人民にとって監視されなければならないのは権力を持ったものであるはずです。権力に暴走をさせないために人民大衆による権力監視が必要なのではないでしょうか。 

 私がビデオカメラを持つようになった理由は、警察権力の暴力や、嫌がらせの言動等から身を守るということでした。昨年4月27日撮影の、私や市職員の谷口氏のビデオフィルム再生で分かるように、清掃作業を私たちが妨害している場面は全くありません。私たちは大阪市清掃局が行う「そうじ・薬剤散布」と称し、野宿生活をしている人たちのテント(家)をつぶしたり、生活必需品を「ゴミ」として廃棄されることをくいとめるために、2か月に一度行われる汐見橋駅近くの清掃作業の監視に出かけておりました。

 公判前整理手続では証拠として提出できませんでしたが、汐見橋での清掃作業中、テントがこわされ、ゴミとして処分されてしまう場面や生活者が干していた毛布をゴミとして処分しようとするのを私の抗議で中止する場面等のビデオテープがあります。

 こうした私たちの監視活動や抗議をこころよく思わない大阪市は、ビデオカメラを持参するようになり、作業現場より遠く離れてビデオ撮影をするようになりました。時として作業現場が見えなくなるほど離れてビデオ撮影するようになりました。私たちの顔がビデオ撮影されないためには、ビデオカメラを持つ大阪市職員の後ろに立たねばならず、本当にゴミを片付けているのか、テントの人の生活必需品まで持って行っているのかが、分からなくなってきました。大阪市の職員は、ビデオカメラをそういう意図をもって使うという手法を考えたのです。また、今回抗議のきっかけとなったことは、私や支援者を「作業を撮っている」といいながら、作業と私たちを同時に撮るというビデオカメラの使い方・手法を考えたのです。当日撮影した私のビデオテープには、市職員の谷口氏が私の方にカメラをむけた場面が7回あります。こうしてことある度に私や支援者を撮影していたのです。決して許される行為ではありません。

 私は昨年1月30日大阪市は靱公園にたてられた野宿生活者のテントをつぶすための行政代執行という暴挙を行いました。私は抗議行動中にガードマンと私服警察官によって押し倒され、そのはずみで右足首の腓骨を骨折し、仲間が呼んでくれた救急車で病院に運ばれ、明くる日手術を行い、1か月ほど入院し、4月27日は骨をスチールで固定しておりました。私を押し倒して傷を負わせたガードマンや私服警官は一人も逮捕されておりません。不公平を感じています。 

 不当に逮捕され拘留された7ヶ月近くの月日を取り返すことはできません。

大阪市と警察と検察が一体となって行った権力犯罪を断罪してもらいたいと思います。

‛07711日)

 

3.最終陳述書

片山光昭

 「希望を託せる支援システムの構築を!」

07年4月27日の新聞(産経)報道によると、大阪府のホームレスは全国最多の4,911人(平均年齢57.5歳)を確認したとありますが、これは路上・野宿者のみを目視によりカウントした数であり、シェルター宿泊者、自立支援センター入所者、そして、流動層とよばれる飯場や簡易宿泊所の人達、また移動層とよばれる夜と昼の居場所がちがうだけで毎晩同じ場所に寝に帰ってくる人達・・・を推計される数だけ足しても、路上・野宿生活者と同じ数の人々がカウントされ、結局一万人前後の人々がきわめて、かぎりなく、ホームレス状況にあるということです。

日本の高度成長を労働力として支えた日雇い労働者にも高齢化の波は押し寄せています。

ホームレス・野宿者の3分の2以上が50歳から64歳までの人達です。就労と高齢者福祉の谷間の世代が野宿に至っているということです。野宿に至った経緯を聞くと8割以上の人が失業したためだといいます。

大阪は日本一野宿者・ホームレスの多い街と言われ、この原因として一番大きいのは釜ヶ崎(寄せ場)の存在です。

昨今の寄せ場は公共事業が減り、派遣会社のとう録している若い労働者に土工等の仕事が流れています。釜に来た現金求人も釜の外からやってくる若い労働者が就いてしまう。高齢者は、ほとんど仕事に就けないのです。

失業とは、生活の手段を奪われるだけではありません。仕事を失うことによって自分に自信を築くチャンスまで奪われてしまうことなのです。

野宿者・ホームレスの支援について

公園野宿者が公園を終の住み処しようとか、安住の地であるとか、と、思っている人は一人もいません。生きていく為に仮住することを余儀なくされているのです。行政は支援活動をおこなう諸団体と話し合いの場を設け、ホームレスから脱却できる支援と有効な事業を行政と民間との共同作業として立ち上げる努力をしてほしいと思っています。ホームレスの人達は多様です、そのために充分な選択肢を用意することが必要です。

再び路上に戻らなくてもいいように長期にわたってサポートできる体制を整えてほしいと思います。

いくつになっても、誰にでも再チャレンジ可能な社会システムの構築を!願っています。

ホームレスの“やる気”をおこさせる支援システムの構築を!願っています。

「希望を託せる支援システムの構築を!」

公園野宿者は政治運動をするために公園にいるのではありません。生活をするためにいるのです。

その2

 これからは若年層の野宿者・ホームレスが増えると言われています。

働く貧困層(ワーキングプア)について

プレカリアートと呼ばれる不安定な生活を強いられる非正規雇用者が急増しています。

厚生労働省が06年12月1日に発表した調査では、雇用者全体に占める非正規社員の割合は33.4%と初めて3分の1を超えた。正社員の3340万人に対し、非正規社員は1663万人。この10年で正社員が460万人減り、非正規社員は620万人増えた。15〜24歳では2人に1人が非正規社員だ。90年代には8割だった大学卒業者の就職率は2000年には6割を切った。中卒・高卒はさらに厳しい。否応なくアルバイトや派遣・契約社員といった非正規雇用の道を選択せざるをえない若者も多いのです。

もはや自己責任とか自助努力だけで解決できる問題ではありません。

日雇い派遣労働者は電話一本で呼び出される意味で「ワンコール・ワーカー」ともスポット派遣とも呼ばれる存在なのです。

スポット派遣で働く人の年収は平均150万円ほど、健康保険も失業保険も年金も退職金も、ボーナスもなく、何年経っても昇給もありません。働いても働いても、生活保護以下で貯金はありません。

家賃が払えずにホームレスとなり「完全個室・宿泊可」のマンガ喫茶やネットカフェを転々とする20〜30代の若者を「ネットカフェ難民」と言っています。

ノー・モア ホームレス!ノー・モア 野宿!

「社会が若者に夢を与え、明日を信じることができる国であってほしい」

 

4.最終陳述書

新里良光

 私は2007418日、公判が開始されるにあたって、裁判官らに、大阪市が200725日に強制排除を行った長居公園での野宿労働者のひとり、藤田さんの大阪市への抗議文を読み上げました。

 今回は2006130日に大阪市によってうつぼ公園から強制排除されたあと、住む場所を求めて長居公園に引っ越さざるをえなかった一女性労働者、松本さんのことを裁判官らに伝えます。

 松本さんは大阪市によってうつぼ公園から強制排除されたあと、なんとか長居公園に移り住んでいたのですが、先に私が伝えた藤田さんの例と同じように、約1年後の今年25日には、大阪市によって又その長居公園からも強制排除され、そこから出て行かざるをえませんでした。

 現在松本さんは藤田さんと共に、大阪市によるうつぼ公園・大阪城公園での強制排除の違法性を問う国家賠償請求裁判を取組んでいます。

今日検察官によって片山さん、垂見さん、私への論告求刑がなされたのですが、私は松本さんの国家賠償請求裁判での意見陳述書を公判の傍聴に駆けつけてくれた野宿労働者とその友人たちを前にして読み上げることをもって、この場での私の意見といたします。

裁判長ら私を裁く裁判官全員は、先に私が伝えた藤田さんの大阪市への抗議文と合わせて、私がこのあと読み上げる一女性労働者・松本さんの意見陳述書を聞いて、大阪市の失業−野宿労働者への対応を今一度考えて見てください。

〔松本さん〕

私は、昭和16年にO県のO市で産まれました。20年ほど前に大阪に出てくるまでは、O市で生活していました。

山口では会社員とか様々な仕事をしましたが、仕事がなくなったので、一人で大阪に出てきたのです。皿洗いや清掃、飯場のご飯炊きの住み込みの仕事が見つかり何ヶ所かを転々としましたが、仕事がなくなり、梅田の駅構内で野宿せざるを得ないことがありました。数年前のことです。

その時はすぐに住み込みの仕事が見つかり、野宿しないですみましたが、だんだん野宿生活が長くなり、2005年の秋ごろから、現在まで野宿生活を余儀なくされています。今でも、住み込みの仕事があれば、やりたいと思っています。生活保護を受けなくても、何とか自分で生活出来ますので、生活保護を申請する気はありません。今は長居公園に住み、アルミ缶を集めたり、西成の高齢者清掃の仕事を月3回やっております。

梅田の路上で野宿を余儀なくされていたときには、毎日4つの荷物を持ち歩かなければなりませんでした。肩に背負い、両手もふさがっていました。荷物の保管場所もないので、アルミ缶を集めることもできませんでした。夜は、シャッターが閉まった駅構内の外に、ダンボールを敷き、荷物を置き、そのうえに覆いかぶさるように寝ていました。怖いという思いもありましたし、荷物がいつとられるかもわからない不安があったのです。人通りが途絶えることもなく、物音がするたびに、襲われるのではないかと不安でした。ですから、なかなか眠れない長い夜でした。そういう注意をしていても、ちょっとしたすきに、荷物を全部とられてしまったことがありました。本当にショックでした。

収入がありませんから、生活は本当に大変でしたが、炊き出しがあれば、炊き出しに並んでおりました。そんなとき、野宿者支援の夜回りをしている○○さんという女性に声をかけられ、うつぼ公園に行けば、テント小屋に住めるといわれ、200512月にうつぼ公園に引っ越しました。

テント小屋では、寒さを凌げるようになっただけでなく、荷物を置いて、梅田までアルミ缶を集めにいけるようになりました。攻撃される危険もなくなり、夜も安心して眠れるようになりました。テントの中に集めたアルミ缶を保管することもできました。ガスコンロで食べ物を温めたり、お湯を沸かせるようになりました。料理も作れるようになり、料理の好きな私には大きな喜びでした。

ところが、大阪市は、私たちのテントを本年の130日に強制撤去しました。私はその日、自分のテントが壊されるのを見ていました。やっとのことで、安心して住める「我が家」が見つかったのに、無残に壊されたことは、何ともいえない気持ちでした。

今は、長居公園でテント生活をしています。自炊ができ、アルミ缶も集められ、安心して眠れるテントを離れて、施設に入る気持ちはありません。

本件について、私たちの生活に目を向けた審理をお願いします。

以上


 

住民票問題の経過

ふるさとの家 マーコ

 200612月から、釜ヶ崎3施設の住民票が問題になっていますが、そもそも住所を持てない人たちを公園や路上、シェルターなどに放り出し、十分な施策を行わない大阪市の問題なのです。今、大阪市は公園の強制撤去を強行し、住民票削除を行おうとするなど、平気で人権侵害を繰り返しています。私たちは弱者いじめをする大阪市のやり方に強く抗議しています。

 

「住民票問題」の経過

 年々、特別就労対策事業(55才以上の釜ヶ崎労働者のための清掃事業、以下特掃)の申し込みの年齢確認などが厳しくなり、2004年より労働者の住民表設定を手伝う「住民票設定プログラム」を協友会で開始しました。

 ふるさとの家が窓口となり、立て替え金の取り扱いや、郵便のやり取りをしてきました。当初、住民票については「特掃のための人はNPO釜ヶ崎、白手帳の人は釜ヶ崎解放会館(以下解放会館)」に置いていたが、途中よりNPO釜ヶ崎に住民票を置くことを断られたため、それ以降は解放会館におかせてもらう人が殆どでした。ふるさとの家に住民票がある人は、年金、保険の手続きのために置いた人と就籍や失踪宣告の取消の審判をした人たちです。このプログラムで200人以上の住所設定を手伝ってきました。その中で解放会館に登録する人が多いのに西成区役所は何も言わないのは何故か?と疑問を持ち、住民情報課で聞いたところ「建物があれば受け付ける、拒否する理由がない」との答えでした。それどころか住民票設定に行った時に本人証明にふるさとの家の利用者カードを見せたので「住所は解放会館にします?ふるさとの家にしますか?」と窓口で言われたのでふるさとの家に置いたという人もいるのです。とにかく、これまで30年近く住民票を解放会館に置くことに何の問題も無かったのです。

 

 2006125日に京都で他人の住民票を使い住民登録をした男(元福岡県警の警察官)が、6日に逮捕され、悪用された人の住所が解放会館でした。127日に読み売り新聞が「44uに3300人住民登録」と書いた記事で、経緯を知らない記者が、いかにも解放会館の住民登録が悪用するために設定されていると思い込んで取材にきた様子に、各マスコミも「架空登録」「違法登録」と騒ぎ始め、市議会議員が「他にもあるのでは」と大阪市に調査するよう要請。1221日にふるさとの家、NPO釜ヶ崎の住民票も問題と発表されました。

 

 新聞報道で「居住実態のないものは削除する」と西成区住民情報課(以下、西成区)がコメントしたことで、1218日に解放会館、釜ヶ崎医療連絡会議など賛同団体で、「これからも解放会館に住民票を置くことを認めるのか、認めないのなら代替の受け皿を用意するのか」と質問書を西成区に提出し、22日に話し合いを持ちました。しかし「住民基本台帳法に則り整備する、法に不備があることは認めるので大阪市にあいりん対策の問題として訴えていく」と繰り返すだけでした。NPO釜ヶ崎とふるさとの家も1227日大阪市市民局(以下大阪市)に要望書を出しました。112日には大阪市選挙管理委員会も過去の選挙の調査結果を出し、「問題となっている住民登録該当者の投票率は、著しく低い状況が明らかであり、選挙投票を目的として住民登録をしているものではないと考えられるところです」と発表しています。125日、西成区は法整備を理由に一方的に「居住実態のない住民登録は2月末をめどに削除する。126日から29日の間、相談窓口を設ける、住民情報課窓口を調査する」というものでした。相談窓口に行きましたが、具体的に相談にのるわけではなく「どこで寝ているか、何が困るか」などいろいろ質問するものの、最終的に公園やシェルターに寝ている人については「何もできません」「生活保護の相談なら市立更生相談所に行ってください」というだけ。簡易宿泊所(ドヤ、簡宿)に置くことを公的に認めるというので、特掃に行き、ドヤを一泊とって相談に行った人には「今日は簡宿に泊まったようだけど、普段はどこに泊まっていますか?」と質問し、正直にシェルターに泊まっている」と言わせ、帰らせるなどひどいものでした。そもそも住民票を異動できる場所がある人は転入届を書いて出し「ここに住んでいるのですね」「はい」と言えばすむ話しを、いかにも相談をしないと異動できないように思わせて、西成区はアリバイ作りをしました。

 

 そして「法の不備は認める、住所を持てない人がいることについて国に話しを持っていく」とも言っていた西成区でしたが、217日、総務省(国)に今回のことについてどういう考えか聞きに行ったところ、「住民基本台帳法の運用については各自治体の判断すること、国は口出しできない、今回の問題も知らなかった。みんなが総務省に来ると言うので大阪市に電話をした」という話しでした。大阪市の判断で削除しようとしているのに「国と法整備の検討をする」と嘘までついています。

 

署名活動

 「このまま住民票を削除されるわけには行かない!」と署名活動や情宣活動を解放会館と失業と野宿を考える実行委員会のメンバーが中心に行ってきました。226日からは大阪市役所前で抗議の泊まり込みをし、東京や名古屋の仲間も駆けつけてくれました。大阪市は「要望書の回答に時間がかかるから待ってくれ」といいながら、27日、関市長自ら「32日に異動に応じない住民票については消除する」と記者会見をする横暴ぶり。しかし今回、Kさんが「選挙権剥奪は違憲」と裁判を起こし、31日に高裁で仮差し止めを勝ち取りました。32日朝には賛同する議院の皆さんも要望書を出してくれました。

 

 32日昼、大阪市は「32日に消除はしない。3週間程度、簡易宿泊所に住民登録できることを周知徹底し、相談窓口を設置する」と回答しました。相談窓口の具体的な内容について尋ねたところ「これから西成区と調整する」というので「具体的に決まってから3週間にするべきだ」と話したが、「今日から3週間」というので、すぐに区役所に相談に行きました。西成区は「大阪市から3週間延期をする話は聞いたが相談窓口については何も聞いていない」というだけで、当事者がシェルター(釜ヶ崎内で1泊できる)に置けるのか尋ねたが「帰りたい時に帰れないところなので認めない」とのこと。そしていろいろ質問する中で「今、3件については住民票の写しは、裁判資料など特別な場合以外は交付していない」と言われ愕然としました。削除はしていないが凍結しているのです。

 大阪市に新たに32日付で要望書を出し、3週間後どうするのかなどについては10日までに話し合いを持つと大阪市が約束しました。

 

 36日、西成区役所は「簡易宿泊所に住んでいる人は住民票を移すように」と書いたポスターを持ってきました。相談窓口の内容について尋ねましたが「大阪市から何も言ってきてない」と逃げ、大阪市も全く動いている様子がありません。住民票凍結についてSさんが区役所に確認に行ってくれ、最終的には「高裁の判決までは交付していなかったが、今は本人の意思で住んでいると確認できれば交付している」と態度を変えたようです。

 

 簡易宿泊所(ドヤ、簡宿)に住民登録を公に認めるという話についても新聞報道が先で、区役所から簡宿側に何ら話もなく簡宿組合も苦慮したそうです。しかし、簡宿組合は住民票を必要としている労働者の生活と権利を守るために区役所と話し合いも持ってくれました。労働者が簡宿に住民票を置いたとしても、帳場の人が「うちは知りません」と区役所にいうと消除の対象になる可能性もあるので、「宿泊証明」を発行し、それを持って区役所で住民登録した人については簡宿が把握しているということで、消除の対象にはならないように考えてくれました。しかし「ドヤに1泊でも泊まれば住民票を置けるのか」との問いに、区役所は「簡宿に1泊したから住民登録させてほしいといっても受け付けない。今日ここに泊まりました、これからもここに住み続けますとの意思確認が要る。それが結果的に住めなかったとしてもそれにはとやかく言わない」と屁理屈を言っています。そんな中でも労働者にとって不利益になることがないように、各簡宿に「宿泊初日」からでも宿泊証明をだしてくれるように簡宿組合がお願いをしてくれました。大阪市や西成区は「簡易宿泊所に住民票を公に認める」と言っただけで、その後どんな問題や混乱が起こるかなど何も考えておらず、簡宿に問題を丸投げしただけなのです。

 

 基本的に住民基本台帳法は住居のない人を想定していないのです。でも現実にドヤにも泊まれず、公園や路上、シェルターでしか寝られない人たちがいるのです。大阪市のやり方は間違っています。

その後

 上記の文書を協友会の支援者に送り、署名の協力を得ました。その後2週間、大阪市前で先遣隊、続いて失業と野宿を考える会が中心になり第二次野営闘争をし、削除をやめるように大阪市に申し入れを何度も行いました。労働者自ら、処分差し止めをして仲間のためにがんばりました。簡宿組合からも最低一年は周知期間が必要だと意見も出ました。しかし大阪市は自立支援センターやあいりん対策などをやるべきことはやっていると、強硬に3月29日に2088人の労働者の住民票を消し去りました。30日になって「3月29日以前に住んでいた居所が確認できれば、住民票回復(消除を取り消す)することができる」と言い出しました。

 

41日に解放会館で住民票回復のための相談を受け付けました。差し止め判決を勝ち取ったKさんが相談に来た一人の青年の処分差し止めを手伝いました。彼はドヤを転々としていたKさんと同じような環境でしたが、負けてしまいました。しかし、その判決の中で大阪市が「選挙当日の投票締切時間まで住民票の回復を行うので選挙ができない理由にならない」と主張し、それに対して裁判所は「ドヤを転々としていること自体定住とみなせず、そのような安易な回復方法を行い投票すれば選挙無効の原因になる可能性があるので、申立人が選挙権を行使することはきわめて困難」というような判断を下しました。

 

労働者の住民票が消されたことに対し大阪市と闘うことは何でもしようということで、先遣隊(行動隊)を中心に市の更生相談所に住民票をドヤへ置くためのお金を貸し付けるように毎日押しかけました。そしてKさんが「大阪市は29日以前に住んでいた証明ができれば住民票を回復し選挙にいけると言っているが、選挙にいける要件は3ヶ月住んでいないといけない。このやり方では10日間しか住んでいない人でも選挙にいけることになる。裁判所も回復した人が選挙をすると無効になる恐れがあると言っている。こんなやり方はおかしい」と請願に行こうということになり、46日大阪市長室に押しかけました。大阪市は「回復した人が選挙に行っても何の問題もない」と言い張り、こちらは「そんな簡単に回復できるなら、何のために解放会館の住民登録を消したのか」「裁判所は今回、申立人は選挙できないと言っている。その他の同じ条件の人は選挙できるとい言い張る大阪市は司法も無視するということではないのか」と長時間話し合いましたが平行線でした。

 

それなら本当に選挙をいこうということになり、48日、労働者と一緒に投票所へ行き、9人が住民票を復活させ、投票しました。第二次野営の最中に処分差し止め、抗告も却下され選挙をさせてはならないと言われていた労働者も投票できました。逆に選挙までは住民票を消してはならないと差し止めを勝ち取ったKさんが市選管の伝達ミスで投票できませんでした。そして今まで投票できていたのに今回させないのはおかしいと住民票をドヤに異動することを断ったTさんが投票させなかった大阪市と新たに闘いはじめました。

 

参院選挙は投票ができるはず!

大阪市選挙管理委員会(以下、市選管)は7月初旬、「729日の参議院選挙は329日に釜ヶ崎で住民票を削除された労働者2088人も投票できる」としました。(住民票が削除されてから4ヶ月間は選挙人名簿に名前が残っている)ただし、「投票所で確認させていただく内容によっては投票できない場合があります」と条件付です。(そして周知をしていると言いながら、ポスターを街の中にちらほら貼っただけです。)

「国政選挙に住所要件はなく、そんなことは憲法違反」と失業と野宿を考える実行委員会が市選管に申し入れをし、話し合いの場を持ちました。

市選管は「選挙当日、3月29日以前にどこに住んでいたか確認する。ずっと野宿やシェルターで寝泊りの人は3月29日以前から住所(部屋)がないということで、投票してもらうのは難しい。本来ならそこに住んでないと判るとすぐに選挙人名簿から抹消する。しかし2088人の住民票を市民局が調査できないで削除したため、判断が難しく4ヶ月間残っていただけ。明らかに長期間住所がない人に投票をしてもらうと選挙無効になるおそれがある」と言い出しました。市選管自らもこの4ヶ月間本来やるべき調査もせずに、ほったらかしにしておき、当日、出向いてくる人には質問を浴びせ、選挙することを拒む姿勢を明らかにしました。

「4ヶ月間選挙人名簿に残したのは大阪市だからいまさら選挙させないのはおかしい」「それは差別じゃないか」と怒りの声があがりました。そして「少なくとも口頭で質問はおかしい。するのであればどの法律に基づいてやるのか、口頭ではなく、文書で一人一人に示すように」求めました。すると市選管は「あくまで調査に協力をしてもらうということであり、強制ではない、法律と関係ない」といいだしました。それまでは公選法の何条にはこう書いてあると法律を盾に話をしていたのに、肝心な所で法律に基づかない職務を行い、労働者から選挙権を奪おうとする市選管に「選管の仕事は選挙をさせないことが仕事なのか」「そんないい加減なやり方で選挙できる人とできない人が出るのはおかしい」と参加者の怒りが爆発しました。最終的には「3月下旬ごろどこに住んでいたかをお聞きしても、調査に協力していただけない方については、こちらとして住所があったかなかったか判断できないので、投票してもらいます。」ということになりました。しかし、質問自体をしないようにするところまで持っていくことはできませんでした。

 

投票日当日

失業と野宿を考える実行委員会は投票所前に張り付き、住民票が消された労働者が投票できるように付き添い行動をしました。投票所には20人ほどの区選挙管理委員が物々しく立っており、付き添いでいくと「投票をする人以外は入いらないでください」とみんなで取り囲み、追い出そうと必死になっていました。

選管職員をビデオ撮影していたら「投票所は撮らないでください」と言いながら、投票所の中では職員がビデオを持ってずっと撮っているので、私たちに撮るなといいながら何であなたたちは撮っていいのかと聞くと「中のことはわからない」と訳のわからない返答。

そして、投票できる人が入っても、「投票するんですか、しないなら出てください。悩むなら外で悩んでください」と追い出そうとして「何で中で悩んだらあかんねん!」と怒っている労働者もいました。それなのに、そのうしろを私服の警察官は自由に出入りさせていました。「選管のバッチもつけてないこの人は何で入っていいのか」と聞くと「関係者だからいいんです」というので関係者についてはどの法に書いているのですかと尋ねても「私にはわからないので、市の選管にきいてください」という始末。「少なくとも選管のバッチぐらいつけないと関係者だとわからない」と文句をいうと、首をひねるだけの若い職員。当の警察官はそれよりあとは外に出ていましたが。

暑い一日でしたが、「投票に来た人が追い返されないように」と10数人でずっと座り込みを続け、付き添い行動をしました。

 そして、前日に集会を開き、「住民票を削除された人も投票できる」ことを労働者に呼びかけた、行動隊のみんなも夕方には「住民票を消された人も一緒に投票に行こうと」街の中を練り歩き、三角公園で集まり、「わっしょい!わっしょい!」と6時半に投票所にきました。

 それまでは「体育館の入り口から先は入ったらだめ」と言っていたのに、行動隊が来たとたんに選管が急に門の前にバリケードを張り、一歩も中に入れない姿勢をとったので、大混乱が起こりました。そして私服警官や機動隊を近くで大勢待機させ、物々しい投票所になりました。行動隊は選管の嫌がらせや警察の介入にも負けず、集まったみんなに、投票しよう!憲法を守る人を応援しよう!飯食わせ!とアピールをしました。

 結局、住民票を消された45人が投票することができましたが、翌30日には選挙人名簿からも2088人の労働者の名前が消されました。

これからは今まで以上に労働者の権利が保障されるためどんなことができるかを考え、国や大阪市に対してぶつけていき権利を奪い返す闘いをしなければなりません。


 

 ここに載せた住民票の日録は、大阪市がいかに釜ヶ崎の労働者、そして野宿生活者を市民というより一人の人間として見てこなかったかをよく物語っています。マスコミはあたかも、解放会館や労働者が不法をはたらき、住民票を手にしたかのようなキャンペーンを繰り広げました。しかし、市会議員選挙をめぐって明らかになったのは、大阪市行政(福祉のみならず選挙権)のデタラメさです。自分たちに都合のいいときは法を盾に行政代執行を強行してきました。

 日録は、釜ヶ崎労働者のねばり強い闘いが、大阪市の不誠実さを明らかにしました。その闘いは、7ヶ月たった今も続いています。

 

住民票日録

2006年

 

126

警察官の住民票不正入手発覚

127

新聞各紙・テレビ等マスコミが大々的に報道

129

大阪市、解放会館への登録はマスコミ報道より約200人多い3530人と発表

1211