釜ヶ崎キリスト教協友会通信 67号

WEB

200711

大阪市西成区萩之茶屋2-8-9

旅路の里気付

釜ヶ崎キリスト教協友会

共同代表 秋山 仁 吉岡 基

Tel & Fax 06-6631-2720

 

憲法と釜ヶ崎 −人のいのちの尊厳は守られているでしょうか−

聖母被昇天修道会 マリア・コラレス

 わたしは、この世で一番価値のあるものはいのちだと思っています。ただ生きているだけではなく、豊かに生きること、人間の尊厳が大切にされ人権が守られているいのち。

 戦争がはじまると価値はいのちではなく勝つことになります。仕方がないので殺すことになり、こちらが殺されたらそれは英雄になり靖国神社にまつられます。しかし、国にいのちを献げたから価値があるのではなく、いのちそのものに価値があるのです。

 憲法9条のもと戦争をしないことは大切ですが、それだけでいのちが大切にされているとは言えません。貧しい人たちの世界では、いのちが大切にされていません。日本で言えば憲法25条(国民が健康で文化的生活を営む権利と、国はそうあるよう努める義務を規定している)が守られていません。

 いま世界で死んでいく人は、貧しさのために死ぬ人の方が、戦争よりずっと多いのです。飢えや水、病気では薬がないために死んでいくのです。こんなにも生命が粗末にされていることに、みんな気付き、もっと声を上げなけなりません。

 アフリカなどを考えるだけでなく、わたしたちの近辺、足もと釜ヶ崎にも目を向ける必要があります。仕事がなく食べられず、病気になっても治療できず、若いのに道端で死を迎える人がいます。

 憲法9条のおかげで60年間、日本人は戦争で人を殺すことも殺されることもありませんでした。しかし、憲法25条があるのに、残念ながら、飢えのために死んでいく人々がたくさんいます。

 日本人は一見いのちを大切にしているように見えます。ある日、テレビを見ていたら岩に引っかかって2日間も身動きできない犬のことを放映していました。いのちが危ないと言って、消防署のレスキュー隊が、網で犬を救いにやってきました。その場面をたくさんの市民が見ていました。やっと犬が網で救いだされると、見ていた市民たちからは歓声が上がりました。「かわいそうに」「よかった」。

 しかし、長居公園では世界陸上のために海外からたくさんのお客さんが来るので、公園にテントがあっては見苦しいと、生命を守るテントにしがみつく人たちを、大阪市の職員たちが引っ張り出すことに、人々は無関心でした。

 長居公園の追い出しが終わったあと、大阪市長は言いました。「今日から安心して憩える公園になりました」。その夜テントから追い出された人たちは、貰った毛布にくるまりベンチで寝なければなりませんでした。誰が安心したのでしょうか。テントを追い出された人たちは、いのちの危険にさらされてしまったのです。

 わたしは釜ヶ崎の悪条件のなかで、強く生きようとする沢山の人々から、生きる大切さ、いのちの尊さを教えられています。

 

 

殺されているのは北九州だけではない

−生活保護をめぐる現場から−

トリヤマ タロウ

堂々と貧困ビジネスを展開

釜ヶ崎のドヤ(簡易宿泊所)街はますます生活保護の街へと著しく変化している。現在、ドヤが約70軒(10月)、ドヤ転用型アパートが約70軒(4月)というから、釜ヶ崎のドヤが半数ちかく生活保護を受けるためのアパートに変わったことになる。確かに野宿から畳の上にあがりやすくはなった。けれどトイレ、炊事場は共同で、個室は3畳一間の部屋だけというのがその実態だ。一部のアパートでは、その設備で家賃4万2千円、光熱費を入れると請求額が5万円を超えてしまう。サポート付といいながら入居者をがっちり管理しようとするアパートも多い。もっとひどいのは、本人の手元に数万円残して、あとはすっかり吸い上げてしまう団体だ。この手の団体はこれまで、釜ヶ崎周辺から野宿生活者を連れ去り、全く別の市や区で、生活保護を受けさせ、その保護費をむしりとるというあこぎな商売をしていた。最近では釜ヶ崎の中でもドヤを買いあげ、堂々とそれらの貧困ビジネスを展開させているのだ。

貧困ビジネスといえば、生活保護施設の多くや一部の病院はもっと「やり手」だ。生活保護施設の入所者が飲酒した時に規則を破ったからと退寮させる施設が多い。そして退寮になると、福祉事務所は機械的に生活保護を廃止する。施設と福祉事務所が一緒になって退寮者に「野宿」という罰を与えるのだ。そもそも晩酌程度の適度なアルコール摂取は最低限度の文化的生活を逸脱するものでは決してない。もし適度なアルコール摂取ができず、問題飲酒の傾向が強いならば、施設側が精神科医師と連携した対応を行えば良いはずだ。さらに退寮したからといって、すぐさま生活保護を廃止するのは、法律で厳密に決められた保護廃止のルールを福祉事務所が完全に無視している。何故か施設の規則が生活保護法より優位になっているのだ。また、入所者一人当たり1ヶ月20数万円もの生活保護費が福祉事務所から施設に渡されるが、そのうち入所者本人に渡されるのはわずかに1万円程度である。20数万円が施設に支払われていることや、どのような内訳で使われているのか全く本人には知らされず、全てがブラックボックスの中に隠されているのだ。

病院も同じである。福祉事務所がよく入院を依頼する病院は、車で迎えに来てくれるからという理由で、どんな治療が行われるかは二の次である。そして当事者の病気のスクリーニングよりも、病院経営を重視した検査が繰り返される。そのような病院は系列病院に病人をたらい回しにし、最後は病気が治癒したとして退院させられる。病院をがっぽり儲けさせた後、当の本人は野宿に戻り放置されるだけなのだ。

 

生活保護制度の入口は狭き門

最近は10年から20年ぐらい住んでいるアパートの家賃が払えなくなり、生活できないという、野宿一歩手前での相談も増えている。例えば、家賃滞納3ヶ月、所持金なしという男性に対して、福祉事務所は、生活保護制度での家賃限度額より男性の家賃が高いという理由で、「転居するか、家主に家賃減額を交渉するか」と指示するのみだ。実はこんな場合のために、生活保護制度から転居費用を出してもらえる取り決めなどが既にあるのだが、どのようにしたら利用できるかを福祉事務所は本人に全く教えない。生活費がないのに転居資金があるわけないし、家賃を滞納していて払えるあてもないのに、家主に家賃減額の交渉ができるわけがない。「そんなこと、できるわけがない」ということが何故か通じず、福祉事務所はむちゃな指導・助言を密室で繰り返しているのだ。

そしてその現実が報道されるのはいつも悲惨な極限状態に陥ってからだ。殺されているのは何も北九州だけではない。悲惨な事件が大阪でも多発している。5月には西成区内で「生活費もなく、(認知症の)母親の面倒がみられないので母親を殺して死のうと思ったが、殺せなかったので自殺する。母親は誰かがみつけて面倒をみてもらえばいい」と書いた遺書とともに男性(45才)が首をつっているのが発見され、別室で母親(78才)が亡くなって発見された。男性が自殺した後、ひとりで生活できない母親は、誰にも発見されず餓死してしまった。6月には平野区内で母親(80才)を殺したとして男性(49才)が逮捕された。その男性は「母親は認知症で世話をするのが疲れた。生活も苦しく、無理心中を図ったができなかった。仕事がなく、約1ヶ月前からガスや水道代も払えなかった。市役所に生活保護を申請したが、受けられなかった」と打ち明けている。7月には東淀川区内で夫婦(ともに34才)と幼児2人(5、2才)の一家4人が無理心中を図って死亡した事件があった。金融機関から数百万の借金があり経済的に困って「もうやっていけない。食べていけない。妻と相談して死ぬことにした。3人目の子どもも産めない。申し訳ない」と書いた遺書を残して無理心中をしたのだ。

生活保護制度を利用するためにはまず申請をすればよい。しかし、これが簡単なようで難しい。ひとりで福祉事務所に申請に行ってもなかなか申請させてもらえない。なのに民間の相談窓口の支援を受けて、福祉事務所に申請に行くとすぐに申請できる。福祉事務所がれっきとした相談窓口なのに、福祉事務所に行く前にその為の相談を民間にしておかないと申請が上手くいかないと言うのはなんだか矛盾している。制度を知らない相談者と制度を積極的に結び付けようとする努力は福祉事務所に残念ながら存在していないようだ。生活保護制度の入口は狭き門なのだ。

 

自立って何だろう

05年度から生活保護被保護者(以下サービス利用者)に対して、生活保護自立支援プログラムが始まった。大阪では65歳以下で、就労不可という医者の診断を受けていないサービス利用者は、職安と連携した就労支援事業へ参加するか、参加しない場合は、今まで以上にケースワーカーの就労指導を受けることになった。ふるさとの家で関わっている人たちが、就職できた事例は非正規雇用ばかりで、労働条件が良いとはいえない職場ばかりだった。粗悪な労働条件でも応募してくる求職者が増えれば、全体的な雇用条件を押し下げようとする力が今後より一層大きくなっていってしまうのではないか、といつも考えてしまう。

就労支援事業への参加は本来自由意志だが、その事業へ未参加のサービス利用者のひとりに「(参加しないのは)あんただけや!めだっているぞ!」と指導するケースワーカーがいた。また別のケースワーカーはうつ・パニック障害の利用者に、病状や通院の必要性など全く確認せず、機械的に「病院に定期通院していない様なので就労支援事業に参加して下さい」という手紙を送りつけた。手紙を受け取った利用者は精神科へきちんと定期通院していたのでとても驚き、慌てた。もし病状が悪い時ならば予測できない事態になっただろう。逆に、仕事を探せといわれ続けたのが、65才になったとたん、「仕事には行かないでいいから、長生きしてください」といわれ、福祉事務所の手のひらを返した対応に困惑するサービス利用者もいる。

今年度からは、未参加者は、これまでは三ヶ月に1度だった収入申告を、毎月、しかも求職活動の状況もセットで申告することになった。その申告書には求職活動の内容を1ヶ月間のどの日に求職活動を行ったか1から31まで並んだ数字に丸をつけさせる。曜日などは無く数字のみで、1ヶ月間休み無く求職活動をしろといっているかのようだ。「何故、充分に求職活動が行えなかったか」を記入させる項目まであるが、「充分に」について定義は全く書かれていない。また、具体的にその内容についても記入させる欄があるが、求職をして面接を受けられた場合は詳しく記入できるが、求職をしたが面接に至らなかった場合などは書きようが無いように作られている。そして、申告の根拠となる生活保護法での稼働能力の活用や虚偽の申告への罰則についてはこれみよがしにスペースを使って示しているのだ。生活保護を受けた後でもこうした色々な形での圧力が、利用者自らの生活保護辞退を引き起こしている。

自立ってなんだろうか?法律、プログラムや施設までいろいろなものが「自立支援」を掲げている。自立といいながら、当事者を追い詰め、むしろ生きにくくさえさせる。自立の意味がどんどん狭められてはいないだろうか。保障されるべき生存権が、「自立」のかけ声の下に奪われてしまっている。

 

最低賃金が安すぎる

制度の入口や内側から生活困窮者が排除されている一方で「貧困」の定義そのものを変えてしまおうとする大きな動きが活発になっている。9月1日の北海道新聞に「厚労省 生活保護費の削減検討 基準額を年数万円」という見出しがあった。「標準的な国民の消費支出の伸びを基本にした現行の算定方式から、低所得世帯の消費実態をもとにした方式になる見通し」と書かれていた。「最低限度の健康で文化的生活」を追求し、底辺を上げようというものではなく、収入の低い人はこう暮らしているのだからとその底辺に貧困のラインを下げようというのである。この理屈は母子加算の削減の時も使われたが、全くあきれた屁理屈だ。

最低賃金で1日8時間月20日働いても生活保護の方が高いのはおかしいとかいう意見もよく聞くが、働いても生活保護水準以下の生活を強いられるのは、そもそも労働者の最低賃金が安すぎるのだ。それなのに生活保護水準を押し下げて生活保護制度から合法的に生活困窮者を排除しようというのだ。

生活保護費基準額の示す水準はこれまで貧困の具体的定義になってきた。その基準額が削減されれば、現在の制度利用者を制度から追い出すだけではなく、貧困のボーダーライン層の人にさらに追い込みをかけるだけだ。この基準額削減のたくらみの次には確実に、受給年数の有限化のたくらみが待ち受けている。毎月1回の申告など問題にならないような、「生活保護を受けられるのはあと何年だけですよ」という、まさに、脅迫である。

 

生活保護制度は最後のセーフティーネット

これまでも生活保護法の解釈や運用をめぐって、生存権を守ろうとする、きびしい闘いが多くの先輩方によって続けられてきた。生活保護費削減の流れは、これまでの多くの犠牲と抵抗を無にしてしまうたくらみである。社会保険制度で示される「保障」の枠は小さく、現実とかけ離れ、労働者が安心して働けるには程遠い。10代への「教育」なども含む全ての社会保障が萎縮させられ、利用者の声が制度運営に反映されないばかりか、無視されるような状況が生まれ続けている。

このままではこの国の社会保障から捕捉されず、排除される人々が増え続け、日本全体が「釜ヶ崎」化してしまうであろう。国がまずやらねばならないのは、生活保護費削減をして国庫負担を減らす事ではなく、「貧困」を調査し、生活困窮者の中でどれぐらいの人が生活保護制度を利用できているかを把握する事だ。そして制度利用者の声を聞いて、制度運営に反映させねばならない。格差というあいまいで相対的な表現でごまかして、今ここにある絶対的な貧困を放置することを決して許してはならないのだ。

(トリヤマ タロウ)


 


 

野宿労働者襲撃事件 〜経過・そして今思うこと〜

こどもの里・子どもの家 前野智子

今年3月、釜ヶ崎の中でも子ども達による襲撃事件が起きていたことを知った。襲撃していたのは、こども夜まわりにも参加していた子ども達のうちの数人。夜まわりを通してだけでなく、普段からもおじさんたちの姿を見て関わって過ごしてきたにも拘らず、である。

最初この事実を知った時、私たちは本当にショックだった。一緒に夜まわりをしていた時には「今日はおじさんがこんな話をしてくれたねん、嬉しかったわ」と話していた子どもが、襲撃?しかも、彼らは家庭や学校で様々なしんどさを抱える子ども達なのだ。それはいじめであったり、ネグレクトであったり。ただ中身は違っていたとしても、生活する上でのしんどさを抱えているという意味ではおじさん達と同じ。そんな彼らが襲撃をしている。何がそうさせるのか?一人一人、本当に優しい子なのに…。私たちは戸惑った。

 

もしこのまま襲撃が続けば、子ども達の行動がエスカレートすることも考えられる。またおじさんだけでなく、子ども達が傷付けられる事態にもなりかねない。自分たちだけでは限界がある。そう考えた私たちは、地域の人たちにもこの事実を知ってもらい、この地域で生きる子ども達のこと、野宿労働者のことを一緒に考えてもらいたいと考え集会を開いた。

7月4日、「いじめ=襲撃の根底にみえるもの〜子どもの現状と大人の責任〜」と題し、これまでに起きていた襲撃の事実や地域の野宿労働者を対象にした襲撃実態調査の結果などを伝え、参加者の意見を聞き、話をした。参加者は、集会の呼びかけ団体である西成区児童虐待防止・子育て支援連絡会議、西成区人権啓発・教育企画会議、西成区社会福祉施設連絡会、わが町にしなり子育てネット、こどもの里(以上共催団体)、西成区青少年育成推進会議(後援)など、行政・福祉・教育・医療関係の施設や団体のメンバーや職員をはじめ、地域住民と6名の労働者を含む81名。

参加者には(全員ではないが)集会のふりかえりとして、印象に残ったことや意見などを書いてもらった。それらを読んでいて私たちが強く感じたのは「大人の責任」を訴える声。子ども達は大人の本音を見抜いているとか、大人が変わらなければいけないとか、大人が子ども達に教えていないとか。集会中その場でみんなに「今の思い・関心」というものを書いてもらった中にも、自分自身がこの問題とどう向き合うべきか、大人から偏見をなくしていかなければならない、野宿労働者のことをもっとよく知りたいなど、大人の意識を変えることが必要だと窺わせるものが多かった。しかし「大人の意識を変え」、「子ども達に教える」ためには、大人がまず事実を知らなければならない。「知りたいけど機会が無い」という声も実際にあった。

それならば実際に野宿労働者と関わってもらえばいい、野宿を余儀なくされている現状を、直接話をしてもらうことで知ってもらえばいい。そう考えた私たちは、野宿者ネットワークと木曜夜まわりの会に協力を得て、集会の参加者に夜まわりへの参加を呼びかけた。教育関係者や行政の人たちも多かったため、それを考慮した上での夏休み期間を利用した計10回の夜まわり企画。10回のうち都合の良い時を選んでもらえばよいという形の呼びかけだった。

結果、参加希望の連絡があったのはたった一人。教育関係者でも行政関係者でもなく、マスコミ関係の人ひとりだけだった。…非常に残念だが、これが答えなんだろうと思わざるを得ない。学校の周囲にはりめぐらされた、野宿者にそこで寝させないようにするための放水管や、等間隔に置かれた花壇が撤去されないのも、結局先生達が野宿労働者を排除しようとする意識を持っていることの現れなんだから。

 

私たちこどもの里職員は、襲撃の事実がわかった後すぐに、子ども達が通う小学校へ直々にお願いをしに行った。

『先生も子ども達も一緒に、みんなで考え話し合ってください』

もちろん襲撃は絶対にあってはならないことである。しかし襲撃をしてしまった子ども達の抱えるしんどさも、かなり深いものである。ただ、もっと地域の人たち―そこで働く人たちも含めて―の中に、野宿労働者のこと、子ども達の抱えるしんどさのこと、子ども達と野宿労働者との関係性のことを考える人がたくさんいれば、食い止められたかもしれない。だから、襲撃をした子ども達をただ叱るのではなく、クラス全体で、また学校全体で話し合って欲しい。そして更に、学校はこの事実を教育委員会に伝え、野宿労働者の授業実現に向けて動いて欲しい。そういう思いでしたお願いだった。しかし、結局学校が行なったのは、いわゆる個人指導。生徒一人一人を呼び出して話をし、もうやめなさい、反省しなさい、と言うものだった。子ども達は、これまでの学校や先生の態度を見ていながら「襲撃はあかんことやからやめなさい」と言われて、どんなことを思ったんだろうか。私は正直こうした先生達の態度を見ていて、結局先生達自身が野宿労働者の問題や襲撃事件のことを全然重く見ていないんだとしか思えない。「大人が変わらなければいけない」という意見は、一体誰に向けて発せられた言葉だったんだろう。自分は関係無いとでも思ってるのだろうか。こういうことは、働く場だとか環境だとかそいういうのに関係無く、本当に一人一人が知って、自身がどう捉え向き合っていくかだと思うのだ。

 

上のようなことも含めて、今強く感じるのは学校や教育機関が非常に閉鎖的だということである。私たちが襲撃の事実を知ったすぐ後で、これまでにも多くの襲撃事件が地域の中で起こっていたことを知った。それは学校の先生から聞いてわかったものである。つまり先生達は知っていたのである。なぜ隠すのだろうか?学校のイメージが悪くなるから?自分達の立場を守りたいから?それって子ども達が野宿労働者を襲撃することより重いことなのか?逆に子ども達が傷つけられることにだってなりかねないのに。「命」に関わることなのに。

また、そうやって子ども達がしていることや自分達が取っている行動は隠す一方で、子ども達が野宿労働者に何かされた時には大騒ぎする。野宿労働者だって同じ人間なんだから何かされれば腹を立てる、当たり前だ。でも学校やPTAが表に出すのは、「子ども達が野宿者に襲われた」という一方的なものだけである。教育委員会にも子ども達による襲撃の事実は伝えない。そうしてまた周囲の人たちに野宿労働者への偏見だけを拡大させていく。PTAや地域の団体は、ますます子ども達に野宿労働者との距離を置かせるようになる。これが今の地域の子ども達を取り巻く環境の実態なのである。

もちろん学校の先生すべてが、あるいは地域の人すべてがそうだというわけではない。ただ、子ども達が自分のしんどさを発散させる方法の一つとして野宿労働者の襲撃に向かってしまう前に、子ども達と親身に関わったり、「襲撃なんか絶対したらあかん!」と本気で止めてくれる人が周囲にもっとたくさん居れば、彼らの行動は必ず変わってくるはずである。また、人の命や生活を大事に思えないということは、自分の命や生活を大事に思えていないということだと思うし、それを変えるには子ども達自身が誰かに大切に思われていると実感できなくてはならない。そして、周囲のおじさん達のことも、たとえ野宿の状態であっても、この町で排除されることなく一緒に生きて生活している人間なんだと思えなくてはならない。

そのためには、まずこの子たちが抱えている重荷・不安を確かに受け止められる大人の存在が不可欠である。私たちこどもの里では、出来るだけこの子たちのしんどさを受け入れ、共に歩みたいと日々思い活動しているつもりであるが、関わってきた子ども達が知らないところで襲撃をしていたということは、実際にはそこまで関われていなかったということだ。しかし、子ども達のしんどさを受け止められる大人が、ここ釜ヶ崎の街中にどれだけ存在するかが、襲撃を食い止める一番の近道なのである。だったら、そんなふうに子ども達のしんどさを受け止められる大人になれるよう、子ども達の身近にいる大人が意識を変えていかなければならない。それと同時に、やはり子ども達の身近にいる野宿生活者・野宿労働者への意識も、学習と体験を通して変えていかなければならないと思う。

 

意識を変えるということは本当に難しい。しかし、無知の状態で偏見だけを植え付けられることはもっと恐い。

 

今、そしてこれからを生きる子ども達が自分の命の重みを感じ、他の人も同じだけ重たい命を持つことを感じながら生きていけるよう、また周りの大人たちが普段の関わりの中でそのことを子ども達に伝え続けていけるよう、私たちはまず地域の中で少しずつでもそれを訴える活動を続けていく必要がある。今後はまず実行委員会を立ち上げ、学校やPTAなどにも働きかけていきたいと考えている。


 

彼らは自転車でやってきた!

−イタリアのエマウスからやってきた二人の青年−

暁光会大阪支部 森下敏行

 世界の50カ国、300のコミュニティがあるエマウス。それはフランスのアベ・ピエール神父の尽力と、多くの協賛する人たちの手によって始まり、貧しい人々とともに、貧困や差別を駆逐するために戦うことを主旨とした運動体であり、生活の場所である。

 そんなエマウスで育った二人の青年が9月から約1ヵ月半、エマウス大阪(暁光会大阪支部)に滞在していた。彼らは一年前に故郷、イタリアのトスカーナ州にあるフィレンツェ近郊の町、プラートを自転車で出発した。

“見知らぬ国や町、異なる文化、人々と出会いたい!これは小さなころからの夢、冒険だ!バカと言われれば確かに少しそうだが、オレたちは経験のいっぱいに詰まった大きな荷物を持って帰りたい。そのために心や体、好奇心はあるんだ!”

いまフランソワは24歳、ロレンゾは21歳。この夢を叶えるため、ホテルマンの学校に行きスイスの超高級ホテルで働いて資金を貯めた。4ヶ国語を話すことも含め、旅の準備はずっと前から行なっているのだ。(フランソワの父は36年前にヒッチハイクで6年かけて世界を一周したというから、その影響も大きい。彼はいまエマウス・プラートの責任者をしている。)

彼らの旅は、ただの旅行ではない。ベオグラード、ウクライナ、キエフ、カザキスタン、インド、タイ、インドネシア。砲弾で穴だらけの学校で、タバコを吸い薬物にも手を出す子どもたちと、マイナス30度になる戸外でホームレスと、戦争と復興の遅れで廃墟と化した住宅に住む人々と出会い、自分たち出来ることをしながら旅をしている。インドには半年滞在し、子どもたちの学校の設立にも関わり、英語や絵画の先生をしてきた。

さて日本・・・「↑Osaka」という看板にしたがって進んでたら高速道路だったり、道端でテントを張り寝ていたら、近所の住人が警察に通報したりと出来事には事欠かない。(彼らが通過してきた決して裕福ではない国の人々が、テントで寝ている彼らを夕食に招いたり、家に泊めたりしてくれたそうだ)

 

私たちのコミュニティでも彼らはよく働いた。エマウスで育った、ということはあるが、彼らは貧困や社会的排除と関わるときに、何をしなければならないかよく知っている。仕事に熱中し、遊びにも熱中するし、出会った相手や物事を知ろうとすることにも全力を注ぐ。大阪にあふれる野宿者を見て、日本はリッチな国であるはずだ、これはどういうことか?政府は何をしているのか?こうした問題は先手を打っていかないと、大変な問題につながる。民衆は何をしているんだ?黙って見過ごしているのか?なにも政府に要求しないのか?あびせるような質問をぶつけてくるが、実際その通りなのだ・・・。

 

わたしがいまの日本を説明するときに、日本は〜だから仕方がない、というような諦観めいたものが自分のなかにあることを発見する。人としてごく当たり前の質問に、率直な答えを出来ないのが残念だ。

彼らは澄んだ目と、開かれた強い心と、若さで世界を巡る。この旅はきっと彼らを大きく成長させるだろう。3年後、旅が終わってから再会する約束をしているが、どんな話が聞けるのか楽しみだ。彼らの無鉄砲とすら言える旅はトラブルやアクシデントに事欠かない。おかしいことはおかしいと言う彼らが好きだし、わたしもわたしの国を変えて行きたい。いつも、真白いキャンバスを心に持つことは、とても大切なことだ。

 

ロレンゾとフランソワ、二人の旅のウェブサイト

http://www.muovitilibero.it/Pedalando_il_mondo/Home.html

エマウス・イタリア

http://www.emmaus.it/template.php?pag=39685

 

追悼 金井愛明さん

 さる1112日、金井愛明さんが、西成区の千本病院で最期を迎えられた。享年76歳。家族によると、「釜ヶ崎で死を迎えたい」と言っていたので、釜ヶ崎から近く、労働者が多数入院していた病院だから本望でしょう、とのことでした。

 金井さんが、釜ヶ崎に居をかまえられたのは1967年。一人の日雇労働者として歩みはじめられた。1970年に、釜ヶ崎で活動するキリスト者たち(ハインリッヒ神父、ストローム宣教師、暁光会の谷安郎)と釜ヶ崎協友会を立ち上げる。以来、釜ヶ崎で必要なことは次々と実践された。いこいの家を拠点にこども会活動、夜間診療所、労働者の健康を考えた麦めし屋“いこい食堂”、安い衣料を提供するバザーなど。また、70年代に吹き荒れた労働者運動への弾圧に対しては、救援活動、保釈後の身元引き受けなどさまざまな活動に取り組まれた。乞われて日本基督教団西成教会牧師に就任後も、その活動は変わらなかった。1981年、病にたおれてからは、思うように活動できなかったが、炊き出しなどの諸活動は支援者により、いまに続けられている。ほんとうに長い間ご苦労様でした。(Q


 

釜ヶ崎日録 2007.8-11

2007.8.6 東京で5月に野宿者の腹の上に火をつけ殺そうとした高校生5名を殺人未遂の容疑で逮捕したとの警察発表。野宿男性は大やけどを負った。少年らは「(野宿者は)汚くて街に迷惑をかけている。死んでも気にする必要はない」と話したという。

2007.8.8 高齢者特別就労組合準備会が、大阪市に特掃大幅削減の撤回を求める要求書を提出。(1.特掃削減計画の撤回と更なる事業の拡大2.話し合いを本年8月中に行う事)

2007.8.11 独立行政法人「福祉医療機構」から年金を担保に貸付を受けた高齢者のうち、生活困難のため生活保護の対象となった事例が、昨年4−12月に全国で3403件にのぼったとの報道。

2007.8.12-15 第36回釜ヶ崎夏祭り。スローガンは「改憲による戦争、生活破壊をぶっ飛ばし、安心して働き、生活できる釜ヶ崎を創ろう」。15日には慰霊祭が行われた。(於三角公園)

2007.8.17 釜ヶ崎労働者の会主催で夏祭り映画上映会(於西成市民館)

2007.8.20-25 労働福祉センターシャワー室の無料開放(期間中利用者1607名)

2007.8.21 住民票削除問題に関して、大阪市との交渉(於浪速区民センター)

2007.8.24 7月の北九州市の男性餓死の問題で、市民団体「生活保護問題対策全国会議」の弁護士や福祉関係者らが、当該福祉事務所長を公務員職権乱用と保護責任者遺棄致死の容疑で福岡地検小倉支部に告発。

2007.8.24 長居公園での野宿者支援などを行っていたNさん、長居公園での世界陸上開催抗議集会の前日に「道路運送車両法違反」で不当に逮捕される。

2007.8.25 長居公園仲間の会主催で、野宿者排除を伴った世界陸上に抗議する集会・デモが行われる。同日Nさんの逮捕に抗議し、府警本部前でもデモを行う。

2007.9.3 釜ヶ崎解放会館が労働福祉センター一階噴水跡地に住所設定を受け付ける場所をつくるよう大阪市に要求書を提出。

2007.9.4 淀川工科高校吹奏楽部による「たそがれコンサート」(於三角公園)

2007.9.4 白川公園で市職員への傷害罪に問われたほとけさん、名古屋高裁判決。「暴行行為はあったとみられる」が、「職員はケガをしたとは認められない」と傷害罪については無罪、1審判決を破棄、罰金額を減額。ほとけさんは首を絞めておらず、襟元をつかんだだけで暴行には当たらないと従前の主張を一貫して述べ、最高裁に上告。

2007.9.5 世界陸上開催直前に不当に逮捕・勾留されたNさん、釈放される。

2007.9.7 福祉事務所職員が家賃の高さを理由に「却下されるから」と生活保護の申請書交付を渋ったことを違法として、市民団体「生活保護対策全国会議」が大阪市に再発防止策を尋ねる公開質問状を提出。

2007.9.7 7月に北九州で生活保護を廃止された男性が餓死した問題を受け、厚労省は「辞退届の提出を強要してはならない」「保護廃止決定の際には自立のめどを聞くなど十分に留意する必要がある」と北九州市を指導。同市は国の指導を福祉事務所に伝えた。

2007.9.13 あいりん物故者(143柱)慰霊祭(於三角公園)

2007.9.13 特掃の削減計画問題に関して、大阪市との第一回交渉(於浪速区民センター)

2007.9.13 住民票に関する裁判第2回公判(大阪市に住民票を削除され4月8日に選挙権を行使できなかった釜ヶ崎居住者が提訴)

2007.9 大阪市は、大阪市内の自立支援センター、更生施設などで住民登録されていた454名の住民票を新たに削除した。今年3月におきた住民票削除後住民登録が認められるとされた釜ヶ崎内の簡易宿泊所(ドヤ)でも10月末までに調査、削除もあり得るとの報道。11月の大阪市長選をにらんでの動きと見られる。

2007.10.9 生活保護に関する相談を受ける「近畿生活保護支援法律家ネットワーク」が設立され、電話相談が始まる。

2007.10.11 大阪市内の野宿者を和歌山県に集団移住・生活保護取得をさせ家賃を徴収していた不動産業者が生活保護費の不正受給容疑などで逮捕される。

2007.10.13-17 大阪市西区の靱公園のテント強制撤去をとらえた「関西公園」というドイツの女性監督の映画が上映される(於ドーンセンター)。

2007.10.13 今年2月にテントの強制排除があった長居公園で「第4回長居大輪まつり」が開かれる。

2007.10.27 協友会が主催の「元気まつり」が雨のため中止。来年4月に改めて開催予定。

 

 

釜ヶ崎キリスト教協友会夜まわり予定表
2007年1月〜2月末

 

 

集合場所

集合時間

連絡先の電話

 

ふるさとの家

午後8時

06−6641−8273

 

暁 光 会

午後8時

06−6562−0086

未定

 

 

 

木曜夜まわりの会

午後10時半

06−6641−7183

 

喜望の家

午後9時半

06−6645−1310

こどもの里

午後8時

06−6645−7778

 

曜日によって、参加人数の制限があります。参加される方は、必ず事前に各連絡先に電話して下さい。(グループの場合は人数などをお知らせ下さい)。