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Last-modified: 2015-04-08 (水) 20:29:28 (1650d)
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 暁光会が出来た経緯、暁光会は何をしているのか、という事をみなさんに知って貰う為と、予定やイベントを協力いただいているみなさまと、未知の方々にも知ってもらい新しい活動や出会いが生まれるよう作りました。

 暁光会に力を貸してくれるボランティア、そしてそれによって助けられた人もまた一団となり、暁光会そのものが社会に対してもボランティアとして力を発揮できるよう祈りたいと思います。

 暁光会はカトリックの支援を多大に受けて居りますがそれに関わらず、暁光会やエマウスの助け合う理念は宗教以前に素朴な人間性から発せられます。

 ご意見ご感想はこちらまで webmaster@mail.gyokokai.org

ウェブマスター記

 暁光会の中には色々な人が暮らしています、事情はそれぞれですが縁あって集まった人たちです。普通の生活を送っていたならまずここへ来ることはなかったでしょう。でもなぜそうなったか誰も聞きません。ここ西成もそういう所です。

 世間的には可哀想とか同情を寄せられ得る人々もここでは一丁前です、生意気な文句も言います。世の中たしかに日々生きるための戦いです、ここでも毎日がそうです。「おれのごはんが無い!」と真面目に怒ってる人を初めて見ました。すがすがしくていいです(わたしはそうしないでしょうが)。飲みかけのジュースを隠されて半泣きで取り返そうとする人も居ます、なんとアホな、、、と思いつつ(隠したのがわたしだったりしますが)、良識や行儀に拘束されない人の姿がそこにあります。そりゃそう云ったものと自分がぴったり一致していればその方が良いのですが、それに縛られて不満を募らせるよりは、むかしのわんぱく小僧のように大福一個で取っ組み合うのも良いのではと思います。そりゃ見っともいいもんじゃないですが。

 現在の社会の”生きるための戦い”とは社会に適応する為の戦いであり、人と人との間で勝ち抜くための戦いであるようにも見受けられます。能力の無い者が能力のある者に勝つことは難しいことです。が、能力の有無は人間の真価にはあまり関係無い事ではないでしょうか。生きるための戦いはみんなに等しくあるもので人ぞれぞれの能力に見合った生きるための戦いを生きる事が本当の尊厳につながる事ではないでしょうか。