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暁光会の成立ち

Last-modified: 2015-04-08 (水) 20:29:28 (1650d)
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暁光会やエマウスが誕生した背景

 暁光会の元になるエマウスムーブメントは第二次世界大戦直後、1949年のフランスから始まります。カトリック国のフランスでは戦時中家や財産を失ったり、負傷し体に障害を負い生活力を失った人たちを教会が保護しました。それがカトリックとして組織だって行われたのか、地域において個々の教会が自主的に行ったのかわかりません、イタリアも痛手を受け、フランスもナチスドイツによる占領下にあったことを考えると、後者だったろうと思います。

 教会に収容された人々は聖堂の中で起居しパンや食べ物を与えられましたが、大きな災害時には復旧は遅れ避難生活は長期化してゆきます。老人や身寄りのない人々に普通に社会に復帰するのは難しい世の中でした。避難生活を続ける中で、保護され与えられるのではなく”私たちで”生活を形作れないか、という動きがでてきました。そこに居る個々の人々は家を失った社会復帰もままならない戦争や競争社会の”被害者””弱者”であるかも知れませんが、その中に老いも若いも、体の弱いものも壮健なものも居ました、ミニ社会を形成するには”被害者”である事さえ辞めれば可能でした。全員が参加し補い合う必要がありました。

 動き出した人達が始めた事は廃品回収でした、体の強いもの、足の強いものはリヤカーを引き市中を廻って廃品や不用品を集めました。体の弱いものが集まった廃品を選別したり、技術のあるものが修理したりしてそれらを販売し、売上で食料を買い、調理の出来る者が調理し全員分の食事を用意します。全員が同じところで暮らし、同じものを食べ、糧を得る為の労働を喜び、それを個人の利益より大切なものと位置づけられるなら、とても僅かの収入で数十人が暮らして行くことが可能です。

 やがて余剰の利益で土地を買い家を立てます。この家は”エマウスの家”と名付けられました。キリスト教徒の聖書にある逸話にちなみ”エマウス”は”希望”を表しています。おなじ思想を持った運動が戦後の日本でも興ります、 1950年に東京で北原聡子らが興した”蟻の町”や、そこに影響をうけたフランス人神父が神戸を中心に興した”暁光会”です。

 ”蟻の町””暁光会””エマウス”で行われる仕事は、日本で言う”賎業”と似通ったものがあります。拾い屋、屑拾い、バタ屋、呼ばれ方は様々ですが、一般社会(時世によるものですが)から見れば、余り物、おこぼれ、で生活しているもの、という意識からのものでしょうか。 一般社会的な主流意識は移ろい易いもので、無反省です。今でこそ社会福祉法人暁光会と言う名を持ち、十数人と共同生活を送り可哀相な人たちを助けてる団体と”誤解”されるかもしれません。実際はメンバーひとりひとりの力と働きが無ければ、何も出来ません。また、助けているのではなく支えられているのです。