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暁光会大阪支部のあゆみ

Last-modified: 2015-04-08 (水) 20:29:28 (1650d)
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社会福祉法人暁光会大阪支部のあゆみ

誕 生

 1958年大阪市西成区津守東(現北津守4-4-44)の宗教法人カトリック大阪司教区所有の土地800坪の半分400坪を無償無期限で借り入れ掘っ立て小屋を建て、バラード宣教師の理念に基づいて大阪支部が発足した。当時はスラム化した荒廃の埋立地で随所に空き地があり、養豚・養鶏が営まれていた。  責任者が神戸本部より派遣され、所帯持ちを含むメンバーが、近隣を廻って随所に捨てられている廃品の回収に終日専従しながら共同生活を開始した。

1960年代

 所帯持ちのメンバーが増加し、小さい子供のため日中の保育の必要から、東側の残りの半分の借地を利用して保育事業開始、同時に法人格と保育所認可の手続きを開始、翌年4月地域にも開かれた正規保育園となる。暁光会大阪支部は当時の社会福祉法人法に合致しない内容と、本来の法人の主たる目的事業にもかかわらず除外され、やむなく付随する事業とする。
 また、戦後復旧の進まない当時は、困窮する人が伝え聞いて集まり、会員は急速に増加した。ニードに答えて次々と木造の住居を増築、現在もその一部は物置小屋や作業所などとして使用している。
 1962年エマウス活動の支援に参加していた住友グループ有力者の助言と仲介により、新住友ビルの完成を期に同ビルより廃棄される古紙廃棄物を当会が全面的に回収する事となった。暁光会ではそれ迄バタヤと呼ばれたリヤカーを引いてダンボール・古新聞・鉄屑を拾い集める廃品回収活動を続けていたが、新しい業務と変わり行く道路事情に合わせてトラックを導入し、廃品回収活動も大きく様変わりしつつ現在まで続く体制が作られた。

1970〜80年代

 この期間に生活及び作業に用いられている建物3棟が建てられ現在も使用中である。軽量鉄骨構造2F建てはフランスからボランティアで来日し当会の仕事に従事していた青年が廃棄予定の建物を解体し移築したものである。鉄骨構造3F建ては当会メンバーの建築技術を持つ者が中心となり、基礎工事だけを釜ヶ崎の建設業者に依頼した。部材は鉄鋼業者に発注して集め自前で建てたものである。またニードに答え、倉庫と宿舎用の鉄筋コンクリート構造2F建てが1975年に建てられている。
 80年代よりフィリッピンへの支援活動も行われている。これは日本の暁光会がフランスで始まったエマウス運動のアジアの拠点と成っていた事を背景としての活動である。当初は資金的な援助が中心だったが、一緒に力を合わす事を目標に大阪支部からはメンバーを交代でフィリッピンに派遣し、宿舎等の建設に従事した。
 この時期はバブル景気を反映して古紙の価格が良く、若く労働力のあるメンバーも多かった上、暁光会の行っている事業への社会的関心も高く寄付金も集まっていたので、様々な活動を行う事が出来た。

1990年代〜現在

 80年代には最大25名のメンバー、加えて学生やカトリック教会からのボランティアグループが常時居た暁光会ではあるが、初期のメンバーの高齢化や病気による死亡、学生達が社会人となって行った事により、会の中で活動する人数は減少した。現在は16名のメンバーが共同生活を行っている。その内訳は

暁光会大阪支部の年齢構成 2005年4月現在
80歳代1名
70歳代2名
60歳代4名
50歳代4名
40歳代1名
30歳代3名
20歳代1名

その内女子1名、介護保険による訪問介護の受給1名、身体障害者3名、知的障害者3名(身体障害と知的障害の重複者1名)となっている。
 1996年、バブル景気の崩壊後、近隣野宿者からの古紙買取り支援活動を開始した。野宿者が急増していた時代で、公園や高架の下に余儀なく暮らしている彼らの生活は、新聞・ダンボールなどを集めて売ることで辛うじて成り立っていたが、古紙価格がkgあたり3円まで下落し、その生活は非常に厳しいものとなっていた。暁光会も経済的に苦しい時期を過ごしていたが、彼らの苦しみを少しでも分かち合えたらと、暁光会大阪支部は釜ヶ崎キリスト教協友会(以下協友会)と相談し、協友会の支援プログラムとして古紙買取り支援活動をはじめた。これは近隣野宿者から古新聞をkgあたり7円で買い取り、その損失分は協友会と暁光会大阪支部で埋め合わせている。何とか彼らの日々の生活の補償を考えた活動で、現在まで続いている。