エマウス運動
Last-modified: 2022-02-11 (金) 19:25:00
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エマウス運動 †
- エマウスのはじまり
1949年、当時国会議員だったアベ・ピエール神父は、パリ近郊のヌイイ・プレザンスに家を買い、ただ住むには広過ぎたその家を、戦争で国ごとに分断された若者たちのため、ユースホステル「エマウス」として利用することにしました。しかし、実際には、街中で見かけたホームレスたちをそこに受け入れていて、それを知った町の人も、行き場に困った人を見かけると、アベ・ピエールのところへ行ってみな、と声を掛けるようになっていました。しかし、こうして集まってきた彼らの食費は、アベ・ピエールの収入で賄うには大きすぎ、彼は夜になると町に出て各家庭を物乞いをして回るようになります。
それを知ったアベ・ピエールに養われていた人たちの中から、廃品回収をしてみてはどうか、という案が出され、実際にやってみると、食費どころかそれを上回る収入が得られることがわかり、そこでその収入をもとに、自分らと同じ境遇にある困っている人たちのため、新たに土地を買い、家を建てて迎え入れる、エマウスの活動が始まったのです。
同年の11月、アベ・ピエールはひとりの自殺志望者と出会う。彼の名はジョルジュといい、刑務所を出たばかりだが絶望していた。彼の自殺を止めることは誰にも出来そうになかったが、アベ・ピエールは彼に始めたばかりのエマウスの仕事を手伝うことをもとめ、ジョルジュもそれを了承した。ジョルジュはエマウスのメンバー(compagnon-同行者)の第一号である。
- 1954年の冬
この年の冬、寒波に襲われ多くのホームレスが命を落としているなかで、アベ・ピエールはラジオ・ルクセンブルグからフランス国民に"親切の蜂起"を呼び掛け、それはエマウス運動がフランス全土に、世界に広まるきっかけとなった。
友よ助けてくれ!
Appel de l'Abbé Pierre
- Emmaüs international エマウスインターナショナル
- 「エマユス運動とアベ・ピエール、またそのシステムの有用性について」
~日本の現状に対する提言も含めて~ 田中秀和 2005 - アベ・ピエール ウィキペディア
日本のエマウス運動 †
ロベール・バラード宣教師が暁光会を始めるにあたり、そのきっかけとなったのは蟻の会、北原怜子さんとの出会いがあります。先駆けてエマウスを始めていたアベ・ピエールとも書簡を交換しています。
1971年、エマウス・インターナショナルが設立されると蟻の会、暁光会が日本のエマウス運動の支部として登録されました。
またその後、ロベール・バラード宣教師の提唱によりアジア・エマウスが設立され、韓国、フィリピン、スリランカ、インドネシアに施設、活動グループを持ちましたが、現在アジア・エマウスとしての活動は行っていません。また、日本国内(神戸・東京・前橋・大阪)あった廃品回収コミュニティも現在は大阪だけとなっています。